昨日の続き。



PC上の音楽とCDとの違い。



悩んでいまして、twitterで答えにつながりそうなつぶやきが。



@nyaho7さんのツイートなんだけど、(勝手に引用してすいません。)



芸術で見せる側と見たいと思う側の→←の関係性に言及していまして。



なんとなく、これが私の言いたかった答えのような。



CDを所持するということは売る側(作り手)と買う側(聴き手)の両方の聴いてほしい・聴きたいの関係が成立しないといけないわけだよね。


で、作り手はもちろんCDを身を削って作るわけで、聴き手はCD屋さんに行ったり、パソコン開いて注文したり。もしくは、買う前にレビューなんか読んだり。そして、何より自分のお金を使うわけで。


そこにはお互いが何かしらの意図的な行動があって、自分の意思で身を削っている。


そして、それを媒介とするものがCDなわけなのね。(もちろんLPとかいろいろ他にもあるけど、今は置いといて)


それが作品として目に見えるものとして残るわけ。


その作品を介して立場は違えど、パシヴァもレシヴァも(村上春樹的に言えば)は対等であるんじゃないかな。


→と←のバランスが安定していると思う。



で、そのCDという仲介するものをとっぱらちゃったのがライブになるんじゃないかな。


CDという媒体がある種、演奏する側と私達の間に行き交う感情とかをフィルターにしている。もっと言えば、壁になっていたりもする。


でも、その壁をとっぱらちゃうと演奏する側と聴き手の感情がリミッター関係なしにぶつかっていく。


だからこそ、CD(音楽)を作る側がCD(音楽)を作って、これは自信作だ!!と思ったとき、


そして、聴き手がこれはなんて素晴らしいCD(音楽)だと思ったとき、


この両者の→←の関係において満足度が高ければ高いほど、ライブ(バンドだけじゃなく、お客さんのレスポンスも含め)の期待度であったり、実際に行ったときの完成度に大きく関わってくるんじゃないかと。


もちろん、その日のパフォーマンス力が一番大切なことであるけど。




一方、パソコン上にある音楽(自分でインポートした音楽、ダウンロードしたもの、違法なものなどいろいろ含め)はというと、その→←のバランスが不安定でパシヴァとレシヴァが対等ではないと思う。


なんでかっていうと、両者を仲介するものが楽曲ではなくて、楽曲を含んだPCだったりipodなどの音楽機器だからだと思う。


純粋にアルバムの楽曲が仲介となるものではなく、もっと大きいものに吸収されてしまっているし、他の楽曲や音楽とは関係ないものまで含まれているから。


→←がアンバランスだよなって。


youtubeなどの動画も→と←の関係がアンバランスだよね。


というか関係自体が皆無なのかも。


提供する側が本人でない場合がほとんどだし。


でも、受け取る側は熱狂的に動画を探しまわっていたり。(もちろん私もそうでありまして)


受け取る側だけの感情しかないような。


でも、その受け取る側の←のパワーも大切だよね。


いつでも←のパワーというかアンテナを発していないと、なかなか自分の気に入るものなんて出会えないし。


CDだって最初から→←の関係ができているというわけではないのは当たり前であって。


作り手が聴いて!!って→を発していて、


私達が聴きたい!!って←を発する。


最初は一方通行で、何かの引き合わせでこの関係が成立する。


この関係を成立させるためにネット上の音楽があるならば、有効なものなのかなって思うし。


ただ、それが成立しないって思うとさ。


そう思ったら←(聴き手側)の一方通行っていうのも、今の便利な時代、欲求を満たすことは簡単かもしれないけど、ある意味可哀想なことなのかもしれないよね。



あと、ipodとか携帯で音楽を聴くということの是非はもう便利かどうかの問題に尽きてしまうと思う。


私は二十歳を過ぎた頃から、便利のデメリットの方が大きく感じてしまって、


だからといって便利から逃れられない生活もしていて。


今回、PCが壊れて今までのデータ(何千もの音楽も何百枚もの写真も含め)が消えてしまって思うことは、


(CDをパソコンに入れたから、CDはいいやと思って処分してしまったのは前回のお話)


与える側→が残してくれる、目に見えて残るものは私を安心させてくれるものだったということ。


部屋に置いてあると、当たり前のように存在しているけど、実はそこから間接的にせよ作る側の→がいつもCDから発せられていたということ。


それが私を安心させてくれて、いつも身近に音楽を纏っていると思わせてくれる。


それって音楽好きにはたまらんことだよね。


そういうのはPCからは感じることはできない。


私は。



あと、昨日の日記で書いた、ずっと昔は音楽でお金は取らなかったという話は、


あの時代(縄文時代とあ弥生時代とか)は音楽に聴き手がいなかったからじゃないかと。


あと、誰かに聞いてもらうためというよりも、豊作を願ったり、人間じゃないほうに向かって発していたからかなとも思う。


それが、だんだん(平安時代とかから)音楽を聴くことがステータスの一部になって、


民衆に音楽が広まったときには演奏する側と聴く側の関係が成立していったんじゃないかと。


聴き手がいない音楽って今でいうとお祭りみたいなもんだよね。


それも、今となっては観光として観る側もいるわけだけど。


というわけで、少しばかり昨日のもやもやを解決できたような気がします。


そして、解決できたからこそ、今まで大切にしてきたCDを処分してしまったのに大反省。大後悔しているわけです。


もうちょっと部屋が大きければさー。なんて言い訳は通用しません。


これから、CDを買い直しです!!


ポジティブに思えば、新しい音楽に出会えるチャンスでもあるということ。


私は音楽に対して聴かず嫌いなところが多少あるから、良い機会なのかもしれないね。


だって、itunesの中とか何千曲も入っていたのに、アーティスト数は何十単位なんだよ。たぶん50もいなかったような。


だから、新しく作るマイitunesも楽しみにしながら、CDともきちんと向き合っていきたいなと。


かなり長文でしたが、このへんで。