またマーベルかと思いながらも、息子の誘いに喜んで観に行った映画です。
 
それにしても、ロバート・ダウニーJrとかベネディクト・カンバーバッチとか、演技派の俳優なのに、スーパーヒーロー役とは勿体無いこと。彼らの演じる奥の深いキャラクターが観たいよぉ。(泣)
 
それは置いといて、この映画はもう日本でも公開中ですが,ネタばれですよ。(警告)
 
この写真の真ん中の巨大な人。既に聖書のゴライアス(ゴリアテ)を彷彿させるのですが、それを神様を信じて投石でやっつけた若き日のダビデ王は出て来ません。スーパーヒーローたち全員が、喧嘩しながらも協力し合って戦うのです。
 
なぜ戦うかと言うと、このサノスという巨人は、人口(人ではない?)過多のユニバースのバランスを保つために、全能の力(おいっ、それは神様の領域!)を手に入れて、全ユニバースの半分の生命を絶滅させる計画を実行に移すのです。
 
その全能の力は、インフィニティーストーンという宝石を6個?集めて金色の手袋にはめて完成させると得られます。その手袋も、サノスの手が大き過ぎて、大祭司が着ていたエポデという胸当てみたいなのです。
 
それを阻止しようとするスーパーヒーローたちを次々倒して、ついに全てのストーンを手に入れたサノス。
 
全能の力を得たら、もう腕を一振りしただけで1億人くらい飛ばされたり、高層ビルなんかを持ち上げて投げたりして破壊するようなイメージですが、そうではない。そのエポデみたいな手袋の手で指を鳴らすのです。パチン!
 
そんなごわごわの手袋していたら指は鳴らせないと思いますが、全能の力を込めて鳴らせば鳴るのでしょう。
 
スーパーヒーローたちは力を合わせて、サノスをこてんぱんにやっつけるのですが、指鳴らすのは簡単なこと。
 
パチンッ!
 
この後ですよ。生命の半分が絶滅するシーン。恐らく壮絶な戦いが繰り広げられていた場所とは程遠いところで、普通の生活をしている人々が、突然崩れ落ちて土埃のようになってしまうのです。運転中の人がいなくなって、交通事故が起きたり。一人が取られて、一人が残るというシーン。
 
ラ、ラプチャーだ。聖書に書かれているラプチャー。
日本語訳では何か難しい言葉だったな。調べます。
 
分かった。携挙です。
 
イエス様が地上に戻られる前に、これまで見たことのないような患難、ディザスターが起こり、その前に既に亡くなっているクリスチャンたちが天に挙げられ、次に地上で生きているクリスチャンたちが挙げられ、空中で再臨したイエス様と出会うということです。レフトビハインドって小説が凄く流行ったけれど、それもラプチャーの話。
 
あっ、でも、このアベンジャーズでは、言うならば逆ラプチャー。携挙では消えるのが救いで、残った人たちは地獄の前章のような地上に置き去りになるのです。
 
でも、この映画では、消えてしまった人たちは完全に消えてなくなり、残った者たちが平和を保ちながら生きて行くということなのでしょうが、気になるのはラストシーン。
 
ぼろぼろに破壊された地上とは別の惑星みたいな緑の美しい場所に座るサノス。自分の目指していた理想のユニバースを目の前にとても寂しそう。生命の半分が消えてしまったから寂しいのと、そこがパラダイスではなかったことの悲しさ。美しい背景と孤独で寂しそうなサノスのジャクスタポジション(映画学部の学生たちが大好きな言葉)で終わります。皮肉です。神様のご計画と逆の計画のもたらす結果。
 
映画の最初の方にも、スーパーヒーローが「お前は誰に仕えているんだ?」と聞かれるシーンがあるのですが、そこで「イエスに仕えてるとでも言わせたいのか」みたいな受け答えがあるのです。
 
うん、この脚本家か監督、確実にキリスト教の教えを意識した思考で、無理にそれに反したストーリーを作り上げたのだと思います。他の批評を読んでも、ラプチャーを取り上げている人もいるし、制作者の意図とは裏腹に、人の好奇心を神様に、聖書に向けることにならないかと期待します。一人でもいいから。
 
本当に興味深いストーリーでした。
 
 
映画館でいけない物頼みましたが、チーズディップは使わなかったと言い訳。