こんばんは。eLuです。私の初めてのブログです。文章能力は乏しいため、簡単な文章で記載します。

「私の自由は親に奪われていました。」

このタイトルを見て、この子はどんな親に育てられたんだと思いますよね。ネグレクト?家庭内暴力?

違います。普通の親だったんです。本当に普通の親。自分でいうのもおかしいですが、愛されていたと思います。しかし、その愛が私の自由を奪っていたんです。また、普通だったからこそ、周りには気づいてもらえない、親自身も自覚がなかったんだと思います。

そんな方は私以外にもいらっしゃるのではないでしょうか。また、母親世代の方は、知らない間にお子さんに同じことをしてしまっていないでしょうか。そんな思いも込めて今回、そんな親の元で育った子どもの目線で書いていきたいと思います。

 

【親の言いなりで生きていた】

私ははっきり言いますと、親のレールに沿って生きていました。小学校受験も親が子どもに行ってほしいからという理由で受験し、通っていました。高校受験も自分の行きたかった志望校は親には気に入られなかったため、却下され、親に勧められた高校へ進学しました。大学受験も自分の行きたい志望校も受験しましたが、半分は親が決めた大学も受験をしていました。結局入学をした大学は自分が志望した大学でした。その時に初めて親のレールを外れた気がしました。今思えば、志望校を親が選択し、自分の意見は通らなかったって不思議ですよね。親が学費を出すから親の意見も聞けというのは、親のエゴです。子どもが選択をした志望校はなにかしらの理由があるから志望するわけで、それが友達、好きな人も行くから、制服が可愛いから、だっていいと私は思います。それで合格した時の喜びは、親が選択してきて嫌々行く学校よりも断然違うと思います。私はその喜びを実感することはできませんでした。今でも自分の行きたかった高校をうらやましく思う時もあります。

 

【だんだん成長するにつれて覚えてきた違和感】

私は、中学時代、高校時代と門限は19時でした。だから、友人と夕ご飯を食べるということはほぼしたことはありませんでした。また、友人と宿泊もしたことがありませんでした。友人の家にもです。高校時代になぜいけないのかと聞いたところ、「迷惑だから」「自分の家があるのに、他人の家に泊まるなんて意味ない」という理由でした。友人にその話をすると、「eLuのお母さん、厳しいね」と言われました。私はその言葉を言われ、友人に対する申し訳なさ、自分の親に抵抗できない無力さに対する悔しさと高校生になったにも関わらず、変わらず何も許してくれない親への憎しみがこみ上げてきたことを覚えています。

なぜ、私だけダメなのか。他の子たちは泊まったり、友人のみで色々な所へ出かけているのに。なぜ、私だけこんな縛られているのだろう。

高校生のあたりからだんだんと親に対して違和感をおぼえていきました。高校生活はそのように門限などに縛られながらも学生生活は充実し、楽しい日々も送っていました。しかし、変わらず、親の縛りは変わることはありませんでした。

 

【大学入学後の初めての反抗】

私は、大学は実家から通える学校へ進学しました。それでも高校とは違い、自由な時間も多く、友人にも恵まれ、楽しい大学生活を過ごしていました。そんな私にも恋の春が訪れ、同じ大学であった男性とお付き合いを始めました。一緒に大学へ通学し、帰りに一緒にご飯を食べに行くなどのデートも楽しんでいました。しかし、私はどこかで親に対する恐怖を感じていました。いつか、彼のことを親に言わなくてはいけない、でも、確実に怒られる。そう確信していました。

予想は、的中でした。親に彼の事を伝えた際、長文で怒りのLINEが来ました。その内容は、「そんな男と付き合っていてもメリットなんてない」「頭の良くない学校の男なんかと付き合うな」という内容でした。

もう分かっていたことでした。だから敢えて彼を私の家へ連れて行かなかったんです。何も彼は悪くない、何もしていないのに責められることは分かっていました。しかし、そんな彼を執拗に非難した親への怒りと彼に対する申し訳なさで駅のホームで思わず涙を流したことを覚えています。また、その時に私の中で何かが切れました。そして、初めて反抗をしました。

「彼と別れるつもりはない」「何も悪くない彼を責めるな」

それに対する返答は、「そのまま付き合うのならば、もう学費も払わない、娘じゃない」という返答でした。

まさかここでお金の話を出されるとは思わなかったですよ。親自身はお金の話をちらつかせれば、抵抗できないと思ったのでしょう。でも、私ももう引き下がれませんでした。その日は家には帰らず、彼の家に泊まり、次の日もそこから学校へ通いました。

次の日に親ではなく、祖母から連絡がありました。きっと親が祖母に告げ口をしたのでしょう。しかし、祖母は親の親。さすがにお金の話や彼の話を聞いてまずいと思ったのでしょう。祖母が親の事をなだめ、親も渋々承諾し、彼のことは一旦終着を迎えました。しかし、その後も彼の話題がでる度に「まだ別れていないのか」「早く別れたらいいのに」と言われることは少なくありませんでした。

 

【最後に】

いかがだったでしょうか。これは私の親から自由を奪われたほんの一部です。結論から申しますと、私の親は「過保護」だったんですね。それが少し、過剰だったんです。だが、その少しが子どもにとっては苦痛で苦痛でたまらないんです。普通の何も言わない親がどれほどうらやましかったか。友人と遊んでいても、夕方がきて、夜に近づくにつれて親から「早く帰ってこい」というLINEが来るのが怖くて学生時代は夕方が恐怖で嫌いでした。

親に愛されている証拠だよ。そう思うかもしれません。でも、本当に愛していたのなら、子どもの言動を尊重していくべきだと思うんです。子どもの選択や恋愛に反対してきたり、過剰に首を突っ込んでくるのではなく、話を聞き、もし悩みや不安を抱えていたのならば、相談に乗り、アドバイスをしていくということが親の役目なのではないでしょうか。

子どもが危ない道へ行かないように、しっかりした子に育てないと。と思う気持ちも子どもだってわかっています。でも、縛りつけることでしっかりした子に育つなんてそんなことはないと思います。子どもはどんどん違和感を覚えていくだけです。

そんな違和感をたくさん感じて過ごした私は親が嫌いになりました。もう就職したら、家には帰ることはありません。一生実家には戻ってこないでしょう。そのくらい、親のことが嫌いになったのです。違和感から憎しみに変わり、縛ってこられた記憶は一生消えません。

そのような子どもが増えないことを望みます。親のことが怖い、家に帰るのがつらい。そんな風に思うのは異常であると思うからです。過保護に育てられたメリットは少ないです。このことが誰かに届くとうれしいです。

最後まで読んでいただきありがとうございました。では、また。