引越し。ただそれだけでも大変な事。

揃える物は1から、いや、0から。
お皿ひとつから、電化製品、布団、もうとにかく全部 何もかも。

物価が異常に高い。

日本の銀行の預金は ここからじゃ下ろせなくて。現金不足。

学校。
詰め込まれていく言葉文法。
テスト。

会社。
初めて飛び込む場所。飛び込む仕事。人付き合い。

失敗してはいけない怖さ。
こなさなきゃいけないプレッシャー。

コレが全て海外。

銀行のATM、私の後ろにだけ行列ができる。遅いと怒鳴られ、遅すぎるが故に、頭がおかしいんじゃないのか!と吐き捨てられ、どけ!と体を押される。

スーパー、何が何だか分からない商品。立ち止まっては辞書を出そうとバッグをゴソゴソ。万引き犯だと間違われる。

言葉を上手く話せない。

勉強してるくせになんで話せないんだ!と責められる。

話せない自分が嫌になる。自信も何も持てなくなっていく。

韓国人相手の電話。もちろん会話不成立からブチ切りされ。

地下鉄でフと気を抜いたとき、
涙がこぼれ落ちて来ないようにと、 眠くなんてないのに瞼を閉じても、
それでも どんどん溢れて来て、ボタボタボタボタ流れ落ちて来た。
隣に座っていた知らないおばさんに どうしたの?と聞かれても、ただひたすら
異国の言葉で「大丈夫です」を何度も繰り返すしか無かった。

些細な事を挙げればキリがない。
ココには書けない様な 身の危険だってある。
そんな全ての環境の変化と異国での日々。
そんな事の積み重ねの日々だったせいで、私自身壊れかけていたのかもしれない。
そのせいだったと思う。色んな事が見えていなかった。

その日々の中、日本語での電話や会話がどれだけ精神がラクになったかわからない。

もしコレが日本だったら、近くには友達がいて、知ってるお店があって、カラオケがあって、日常の不安や愚痴を言えて歌えて、ストレスを切り替えれる場所と 日本語という言葉があった。

7月7日以降、毎日受ける屈辱は心の中で飲み込むしかなかった。
留学とは訳が違う 0からの海外生活と仕事の始まりと、帰国時期の見えない不安感。
全て覆い被さってくるソレは日本に居る時とは違う、並大抵の辛さではない。

もう1人の自分が常に言った。
「そんなん全部分かってて覚悟して来たんやろ」と。

「うん分かってたよ、分かりきってたから そうなるのが怖くて異国に移住が ずっと怖かったんやん」って又自分に言い返す。毎日 自分自身とケンカしてた。

来て1ヶ月過ぎた辺りが 金銭面も精神面も1番キツくなる事も分かってた。
だからこそ、「いま踏ん張れ!がんばれよ私いま!」って8月入った辺りから ちゃんと思ってたのに…
必要以上に心が えぐられるような異国生活にぶち当たる日々に負けていた。
この2か月毎日 外では笑って過ごし、毎晩 家に着いてドア閉めた瞬間 勝手に声出しておいおい泣いてしまってた。

でもこんな泣き声は誰にも言ったらダメだと抑えてました。
そんな裏目に、不安も優しさも甘え方も素直さも余裕の出し方も 全部全部全部間違えた。
それが故、
自分にとって 楽しいはずの 唯一の支えになってた空間さえも、自分自身の手で ぶち壊してしまった。



渡韓日から今まで、弱音を認めないフリして走ってきたけど、この辺で素直に、ちょっと 休憩してもいいですか。



全ての余裕を失ってた気がする。
心配と怖さに取り憑かれて 心の広さがなく、狭さしかなかった。自信の皆無、無理矢理 安心することへの意地。
心身共に限界が来てる自分にも嫌になって おかしくなりそうだった2ヶ月。
安定心がない事は、感情の表し方をはき違えて出す事に繋がってしまってた。

強く強くキツくキツく当たった。
余裕がないせいで。優しい人達に迷惑をかけた。

日本に居た頃の、よくゲラゲラ笑ってた自分が1日も居なかったです。
私は もっと笑ってる子のはずだった。
うるさいぐらい喋る 明るい子だったはずやんか。



9月ですね。私が1番好きな秋が始まる


素直に限界を認めて、SOSを発信したら、その日スグに会社の休みを申請して、韓国までの飛行機チケットを手配してくれた友達。飛んで来てくれるって。
私の行きたいとこ 全部一緒に行ったるから どこ行きたいか考えときーって。
優しすぎて泣けた。


だから、大阪行きたいって返事した。
^ ^
絶対コケてくれてる。笑


弱音吐いてもーてごめんなさい。よし、もう大丈夫や。
次 日本に帰った時、思いきり歌いたい。ゲラゲラ笑って大阪弁のアホ爆裂トークを思いきりしたい。

お母さんのご飯 思いきり食べたい