【記事提供元】DRESS 2月号
大変おこがましいのですが、
あまりに自分の青春とリンクするので、
シェアさせて下さい。
私のセミナー受講者限定のニュースレターにしようかなと思ったのですが、
皆様にぜひ読んでもらいたいなとおもいました!
(プロフィール)
つねざわ かほこ
トレンダーズ創業者。26歳で起業し、2012年東証マザーズ上場、当時最年少女性上場社長となる。現在、Women be colorfulを掲げ「女性が輝く社会」を実現する株式会社カラーズ代表取締役社長。『自分の会社をつくるということ』他著書やテレビ朝日ワイドスクランブルコメンテーター等で発信。女性の幸せは仕事・美・パートナーシップの両立と考えプライベートでは2児の母でもある。
別居して2年、離婚して1年。
3人の子どもあり。
40歳で再び独身となり、恋愛市場に放り出された私。恋愛についてちょっとあきらめ、フタをしていた部分があった。
そもそも私は恥ずかしながら、恋愛経験が少ない。
初の彼氏は大学生の時。
その後、25歳で一目惚れした相手と5年付き合い30歳で結婚、その後、山あり谷あり、そして、今に至る。
仕事は毎日充実しているけれど、プライベートはやや物足りなく過ごしていた最近、ふと、初めて男性とお付き合いした二十歳の春を思い出した。
中学、高校と「超」のつく進学女子校で過ごした私は、男性に対する免疫ゼロの、まさに箱入り女子大生となった。
青春時代を勉強にささげ、浪人までして合格をもぎとった慶應義塾大学経済学部。第二外国語は中国語。
教室には、50人中女子はたったの二人だった。
私はおめでたい期待に満ちていた。まわりは男子ばかり。
こんな環境なら、自然に素敵な慶應ボーイの王子様たちが見つけてくれて、うっかりすると私の争奪戦になっちゃったりして。で、一番素敵な人と恋愛がはじまって……。しかし、である。世間は厳しかった。
もう一人の女子は、慶應女子校あがりのラクロス部員。
モテの王道をいく、まさにお姫様だ。服の着こなしも、仕草も、そして髪の一本一本まで、とにかく可愛い!ものすごいオーラである。
おまけに、本当に育ちのいい子というのは、びっくりするほど性格までよい。
私まで惚れそうなパーフェクト女子だった。
一方の私は、どうにもさえない。
クラスに二人しか女子がいないので、当然、男子からの視聴率は二人に集中。
そして、私についたあだ名は「つね吉」ある意味人気者だが、引き立て役の大学生活が決定したも同然だった。
しかし、そんな私も恋をした。
ある日、上級生との合同ゼミ。
コの字型に配置された机の向こう側に、ひとりの先輩が、薔薇を背負って(と、私には見えた!)口元に笑みをたたえ、座っていたのである。
目があった瞬間、完全にハートを打ちぬかれた。
私、この人好きだ。
心が言っている。
必死で先輩の情報を集めた。
親は建築家、田園都市線沿線のセレブタウン在住、中学から慶應生。
毎日、黒のセリカのオープンカーで、華麗に通学。
当然、ものすごくモテていた。
私のほうは、超庶民。バイトにいそしみ、部活もガッツリ。
千葉から通い、門限は23時。
何度も、あきらめようかと思ったが、もう、好きすぎて無理だった。
そんな中、彼が有名お嬢様学校の女子大生と別れたという情報が。
やった、フリーの期間は短いはず、なんとかしよう。
相変わらず女子力に自信はなかったけれど、もう、待つのをやめた。
自分で動けばいいんだ。
自分から視界に入り、自分で告白しよう。
ゼミを通じて、お互いを知り合ったタイミングで二人で飲みに行くことに。
話が止まらなかった。
育った環境は違うけど、共感できた。
何時間か話して「好きです」と自分から伝えた。
お付き合いを前提に会うようになり、間もなく恋人同士になった。
彼とは就職やら色々あって結局お別れしてしまったけれど、おかげで楽しい大学生活を送ることができた。
今、自分自身を含め、仕事に関しては前のめりなほど積極的な女性も、こと恋愛に関しては受身が多い。
でも、相手から来るのを待っていたら、チャンスを逃す。
モテないことを嘆いていたら、素敵な男性が目の前にいても「どうせ無理」と無意識にターゲット外にしてしまうかも。
自由に生きていきたかったら、仕事だけじゃなく、恋愛や結婚も「この人」と思う人を自分で見つけて、自分で動いて、自分の気持ちをまず伝えよう。
ちょっとくらい傷つくことをさけて、素敵な男性を逃すほうがよっぽどもったいない。そう気づいた。
大学生の私に勇気をもらって、久しぶりに、恋愛市場にも前のめりぎみに出てみようかな、なんてね。
選ばれるのなんか待たずに自分から。
それが女性の自由への近道。