2007年12月、ザ・テレビジョンの関ジャニ∞の表紙を見て『この眼鏡の人カッコイイ』となったのが関ジャニ∞大倉忠義との出会いでした。

関ジャニ∞のグループ名は知ってた。横、村上くん、すばるくん、錦戸くん、昔は内くんがいたグループという印象。はい、関ジミと呼ばれた丸安倉のことは名前と顔が一致しない人でした。
それなのに自担として16年の付き合いになるとは思わなかった笑笑

顔ファンとしてお茶の間な2008年。
2009年Music Fairで披露した『渇いた花』で音楽的な興味を持ち始めた。関パニの存在も関ジャニ∞の存在が大きくなった要因。白バックでジャージという低予算番組なのに深夜に笑いを堪えて見ていた。バラエティ要素も好きになった。

2010年冒険JAPAN関ジャニ∞MAPが始まった。メンバーの素がわかるようになり、完全にハマる要因だった。 飽きることなくハマり続けたので観念して初めて手にしたCDはWONDERFUL WORLD。
ボロボロの就活で心の支えになったのは関ジャニ∞の楽曲だった。ヨリミチ、道標、プロペラ…なによりLIFE~目の前の向こうへ~
直接彼らの音楽を体感したくなった。アメブロきっかけでチケットを譲ってもらって入った初めてのライブはパッチアッパーズ。

そこからは崩れ落ちるように更に関ジャニ∞にはまっていった。
グループがどんどん大きくなった。
5大ドームツアーが当たり前になった。
スタジアム公演もやるようになった。
どんどんドームツアーの公演数が増えていった。
リサイタルでアリーナツアーも嬉しかった。
8周年、10周年これからもずっと7人をお祝いできると思っていた。
一方で彼らの目指す方向がわからなくなっていた。

2018年4月15日 7人の終わりの会見。
6人でやるドームツアー、それだけでもしんどいのにヤスくんの髄膜炎、背骨骨折が判明。
ボロボロになりながらツアーを回る彼らを応援する気持ちは変わらなかった。
だからこそ名古屋、東京、福岡、台湾と追いかけた訳だし。

2019年十五祭、錦戸が抜ける、大倉が抜ける…そんな噂が耐えなかった。そんなことを覚悟しつつ名古屋、福岡、東京と駆け抜けた。
オーラスで安心したのも束の間、9月5日6人の終わり。5人になることになった。
すぐに47都道府県を回ると言い出した。
明らかにズタボロだった。満身創痍。
こんな2年連続でメンバー抜けるとは思わないじゃん。
なのにコロナ禍になり、ツアー途中中断。
エンタメとは?ライブとは?と更に迷宮入りして長くて暗いトンネルに入っていった。

2021年2年振りのツアー8BEAT、毎回叫ぶ『俺たちは関ジャニ∞でよかったぞーーーー』に毎回涙した。
声は出せない。顔もマスクで半分隠れてる。けど対面で会える喜びが爆発した良いツアーだった。

2022年7月キャリア最大キャパ72千人の日産スタジアム。5人でのドームツアー、しかも声が出せるツアー。15祭から迷ってたなにかが晴れた気がした。
2023年はフェスばかり。外部のロッキンとワンチャンフェス。外で暴れまくる関ジャニ∞はかっこよくて誇らしかったけどちょっと寂しかった。
9月の20FES前夜祭以降、何も無かった。

ちょうどその頃、事務所のあれこれに巻き込まれた。グループ名を変えることになった。
前夜祭で2024年の20周年はアリーナもドームツアーもやると教えてくれたし5人で変わらず活動してくれるのはそうなんだけど、理不尽な名前剥奪に無気力になりかけた。

2024年2月3日で関ジャニ∞の屋号とさようなら。
2月4日から新しい屋号と共に盛り上げるしかないね。

7人の関ジャニ∞に出会えてよかった。
関ジャニ∞を通して新しい世界が開けたし、
新しい出会いがあった。
そのきっかけをありがとう。
これからもよろしくお願いします。