もう15年近くも前になる。

銀杏が落ちる季節のある日

私は都内の医大にいた。




薄暗い廊下を通り、

ホルマリン独特の匂いが

漂ってくる。




慣れない白衣を着て解剖室に入ると

ビニールのカバーが掛かった台が

沢山並んでいた。




黙祷を終え、グループに分かれる。




ビニールをめくると

ホルマリンを包んだ空気の塊が

モワッと顔全体にかかると同時に

人の顔が現れた。




広い部屋には20体近くの

“ご献体” が並んでいた。




皮膚はホルマリンが染み込み

灰色に変色し、シワシワしている。

そしてものすごく重い。




すでに医学生によって解剖されていて

胸郭は外れるようになっている。

全ての臓器が触れれるようになっていた。




臓器によっては取り出すことも可能で

また、関節から取れる骨もあった。




ホルマリンの匂いにやられたのか、

それとも目の前の情景にやられるのか、




ご献体と同じ顔色をした男子数人が

ぐったりしながら教室から出ていった。




教科書を取り出し、

骨の名前や筋肉•靭帯の走行を

確認してゆく。




その時のご献体は全員高齢者で、

細かい筋肉は見つけるのが難しい。




同行している解剖学の教授や、

一緒に来ていた先輩や大学院生も

周りながら丁寧に教えてくれる。




進行はグループによって違い、

骨、筋肉、そして内臓を

触りながらじっくり観察してゆく。




「この方はヘビースモーカーだったんだね」




上級生がそう言った

目線の先にある “肺”は、

青カビが生えたように黒かった。




心臓は取り外しができるように

上手に切ってある。

持ち上げながら先生が説明してくれた。




「ここが上行大動脈で、そこからこうやってまた分かれていて、、」




大動脈はさすが全身に血液を送るだけあり、

弾力があってとても丈夫な血管をしている。




指を奥まで突っ込むと、

ビラビラした弁が触れた。




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薄手のゴム手袋を通して

感触が手に伝わってくる。




掌に乗った、その “心臓” は、

何十年も毎日働き続けてきたとは

イメージができないくらい

冷たく、静かだった。




けれど、その軽くて重い 臓器 は、

確実にその人が生きていた「証」を

物語っていた。




この世に産まれて誰かに育ててもらい、

いろんな経験をして大人になって

家族がいたのかもしれないし、

どんな人生だったかはわからないけど、

確実に、生きていた。




そして亡くなった後も、こうやって

医療に貢献する道を選ばれたことに

畏敬の念が込み上げる。




終わりの黙祷は

静かで、そして長かった。




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肉体は、ただの入れ物だ。




魂、精神、肉体

3つ揃って人と化す。




肉体を持つ目的は、

魂を運び、物理的な経験を

させてあげること。




精神を持つ目的は、

魂からの願いを聞き、

また、湧き起こる感情で

魂を感動させてあげること。




その解剖学実習の数年後、

私は家族を看取る経験をする。




どちらの出来事も

私の人生における

重要な通過点である。




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話は少し変わるけど、清野とおるさんが

「初めての死体」という話の中で

電車に飛び込んで自殺した死体を

実際に見て、こう書いている。




↓↓↓




不思議だったのが、恐怖心や気持ちが悪いという感情が一切起きなかった事だ。自分でも驚くくらい冷静に、事の顛末を見届けていた。



周囲には死体を目にしたショックで、ゲーゲー吐く人がいた。



これは大変不条理な事かもしれないが、俺は死体よりも、生きてる人間の吐いたゲロに「気持ち悪い」という感情を抱いてしまったのだ。


バラバラ死体 < ゲロ


これはいくらなんでも、妙だ。



やがて作業員が、手馴れた様子でバラバラになった遺体を一つずつ回収し始めた。


これがついさっきまで生きてた人間だという事が、どうしても信じられなかった。


「ああ、そうか。気持ち悪いと思わなかったのは、これがヒトだと頭の中で認識できていないからだ」


俺はそう確信した。


人間、死んでバラバラになって、こうやって見ず知らずの人間にひょいひょい回収されれば、もはや「ヒト」ではなく「モノ」である。




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「認識」というのは曖昧なもので、

けれど世界の輪郭、そして自分の輪郭を

創り出す。




そして「生」も認識であり、

「死」があって初めて成立する。




魂、精神、肉体が離れてしまえば、

目の前にある肉の塊はただの有機物。




けれど離れていなくても“目的”を忘れれば

生きながらにしてただの有機物になる。




自分はどうでありたいのか?




自己を認識し「今」に生きる時、

確実に、私の心臓は、私と共に

一瞬一瞬を刻むのである。






伊藤恵里奈