ちょっと前まで(今でも時々ブレますが…)
親のせいで生きるのが辛いと思っていました

両親のあれこれがあったから
『いい子じゃないと愛されないんだ』
と小さい頃の自分がそう解釈して
両親との関係を
自分の周りにある社会にも投影し
他者のごきげんをとろうとし
自分をねじ曲げてまでも
嫌われないようにしたり
認めてもらいたくて
大切にされている実感が欲しくて
自分を抑圧することが多くありました


存在している価値があること
生きていていいこと
役に立っていること
必要な人と思ってもらえること


など

他者から愛されてると思うことで
自分が存在していていい
という
安心を得ようとしてました


結局は
自分自身で自分を信じることができず
自分の存在を肯定することができず
他者からの評価でしか
自分を承認することができなかった
っていうことです


しかし
そのように周りの人みんなから
好かれることには限界があって
いよいよ疲れてしまいました



自分が抱えている『生きにくさ』
はどこから来るんだろうか?
と自分と向き合う時間をたくさん作りました

両親が毒親だから…
と親のせいにしてみても何にも解決しなくて
余計に自分を否定したくなるし
負のループにはまっていました


セカンドバースファシリテーション
の学びの中から少しずつ
自分が何に苦しんでいるのかが
見えてくるようになり

あたしがそうであるように
両親も多かれ少なかれ
同じように苦しんでいる
と感じるようになりました

なぜなら
あたしは両親から遺伝子を
引き継いできているから
いいものも、わるいものも
全部ひっくるめての遺伝子を
引き継いできているという事実


両親のようにはならない!
っておもっていたけど
無理なことで…

それは…
あたしの中には両親から引き継いだ遺伝子があるから

両親がいるから
自分が存在できている
という事実に感謝しながら
…だったら
いいも悪いも、全部受け入れてやる‼
って思えるようになって


一見ネガティブにみえる遺伝子だとしても
それが家族の繋がりという
『ギフト』
だと思ってみたら
なんだかとても嬉しくて
家族の一員の『印』のような感じがして

家族から引き継いだ遺伝子を
『そうだったのね』
とあたたかく自分の一部として
受け入れられたとき…

また違った視点から自分を見ることができ
いよいよ
次のステージに行ってみようかなと
覚悟が決まったような気がします



かまってほしくて
いっぱい誉めてもらいたくて
すごいねーって言って欲しくて
感謝されることを頑張ってしてみたり

ある時は
自分の期待に添わなかったら
不機嫌になって
機嫌をとってもらいたくなって
相手のせいにして
かわいそうな自分を演じてみて
よしよしとまるでちいさな子どものように
甘えたいと思っていた自分もいました

そういう自分も
ぜーーーんぶ
『いらっしゃーい』
と受け止め

じゃあ
次はどうしようか
と一歩一歩進んでいこうと思っています