10Dとのご縁でデニス・テンを思い出す | Dombyra-dee-dee〜中央アジアの無駄話とスケートとたまに旅行記〜

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中央アジアと日本を行き来しているくだらない日常とフィギュアスケートと旅行記など。カザフスタンの話とデニス・テン君の話が多いです。
コロナ禍以降はもっぱら国内旅行の話。最近は自分でも滑るのでその合宿関連多め。

私は国際線で通路側を指定できる時は指定する以外は飛行機乗る時に特に座席指定しないのだが、この2年で既に3回も座席番号「10D」を割り当てられている。


1回目は、デニスの死から2ヶ月後、初めてお墓参りにカザフスタンまで行った帰りの、アルマティ→アスタナの国内線。

2回目は昨年、カザフでいつもお世話になってる日本人の友人が帰国したときに訪れた、彼女実家のある五島列島福江島に行く時。

3回目は先日の九州旅。成田→福岡の国内線。


10D、デニス・テンのファンにとっては昔から縁起の良い数字だったけど、記憶に残ってないということは生前には一度も引き当てていないのだろう。それが、彼がこの世を去ってからの2年で3回。この2年で飛行機乗った回数から考えてもけっこうな確率ではないかと思う。

非科学的なものを信じるタイプではないけど、これだけ重なると、やっぱりデニスは今もどっかでこの世を見ているのかもな、などと思う。

(ちなみに熊本→鹿児島の新幹線も座席10D買ったんですが、これは写真撮り忘れたままチケットは自動改札機に吸い込まれていった…まあ、偶然引き当てたんじゃないからいいか…)

コロナで次カザフ行けるのはいつになるやらという感じだし、カザフの国際大会、デニス・テン・メモリアルチャレンジもせっかくチャレンジャーシリーズ入りしたのに中止になっちゃったし、こもそも今カザフはもはや第二波来たというレベルでやばいみたいだけど…

そんな中でも、さいたまのD10Worldに来たメンバーは新しい家族ができたり、新天地で活動していたり、色々前向きな変化があるようです。

そしてデニステン財団も、新たなプロジェクトを始めるようです。現時点では具体的なことはわかりませんが、私は今日本にいて出来ることをやりつつ、デニスが繋げてくれたカザフとの縁を大切にしたいと思います。