デニス・テン回想紀行3〜アルマトイへ※めちゃくちゃ長いです〜 | Dombyra-dee-dee〜中央アジアの無駄話とスケートとたまに旅行記〜

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中央アジアと日本を行き来しているくだらない日常とフィギュアスケートと旅行記など。カザフスタンの話とデニス・テン君の話が多いです。
コロナ禍以降はもっぱら国内旅行の話。最近は自分でも滑るのでその合宿関連多め。

深夜1時にカリナの家から空港に向かう。北京空港からずっと誰かと一緒だったので、久しぶりのひとりの時間。いよいよ、デニスのホームタウンであり、人生を終えた街、アルマトイに向かう。



カザフスタンの国内線は遅れがちだが、今回は時間通り。むしろ到着が4:45予定なので遅れてくれても良かった。プロペラ機に乗るのは6年前のモンゴル以来だと思う。

アルマトイに着陸した時、悲しみや苦しみよりも、なんだか照れくさい気持ちになった。あなたに会いに、ここまで来ちゃったよ!どうしよう、「そこまでしなくても…」って呆れられちゃってるかも!などと。


1年前の9月15日は、アスタナ万博からチームで引き上げる日だった。その便はアルマトイ経由だったので、1年前の同じ日にもこの小さな国内線の到着ロビーを通った。普段アルマトイアスタナ間を陸路移動する私はここを使う機会が少ないけど、きっとデニスはこの小さなロビーを何度も通ったんだろう。

バスが動いている時間ではないし、荷物もあるし、アプリを使えばボラれることなく移動できるのでタクシーで宿まで向かうことにした。

タクシーの運転手さんに、毎度のように「カザフスタンは初めて?何しに来たの?ロシア語どこで学んだの?」と聞かれる。今回の目的を正直に話したら、「デニスの思い出の場所に寄ってあげるよ。事件現場で、将来記念碑が立つ予定なんだ。お代はいらないから」と言われた。どちらにせよ昼に行くつもりでいたが、お言葉に甘えることにした(なおタクシーアプリは事前に出発地と目的地を設定すると値段が表示され、その金額が引き落とされるだけなので、この分は本当に無料)。



事件現場は、暗い中遠くから見てもすぐにわかるほど賑やかに飾り立てられていた。ちょうど前日に事件の概要が明らかになった記事が出たところだったので、現場に来て、その位置関係なども実感することができた。いや、できてしまった。まだ心のどこかで嘘だと思っていた。嘘であって欲しかった。でも、事実だった。運転手さんにお礼を告げ、本来の目的地である宿に向かって貰った。

アルマトイに泊まるには、ホテル、ホステル、知り合いのところに民泊、そして日割りで貸してる部屋を借りる、などの方法がある。普段はホステルか民泊だけど、今回は一人になる時間が欲しかったのでお金出してホテルに泊まろうと思っていた。デニスの行動範囲を近いルートで廻りたいので、なるべく実家の近く…と思っていたら、なんと実家のあるマンションで部屋が貸し出されているのを発見してしまった。ストーカーみたいだなぁと躊躇したが、そこに貸し出されている以上借りる権利はある。値段もホテルの候補と変わらないし(とは言っても、普段ホステルにしか泊まらない私にとっては10倍)、こういう所は大家さんに直接連絡すれば早朝にも入れて貰えるし、思い切って予約してしまった。生前だったらさすがに遠慮しただろうが(というか彼が普通に生きてたら私は自分の懐事情を優先するので安いホステルしか泊まらない)、今はなるべく近くに感じてみたい。



デニスの実家は中心部にあるいかにも高級そうなマンション。韓国のドキュメンタリーなどでも外観が映っていたので特に隠してもいなかったようだが、ソチ五輪の後に別の新築マンション貰ってたからどちらに住んでるのかは知らなかった。たまに母国に帰ってくるときは、もとの家の方に帰ってたみたい。駐車場には、レクサスやランドクルーザーなどの高級車が並んでいた。こちらの人々の生活水準は「車のデカさ」である程度測れる。



ロビーまで大家さんに迎えに来て貰う。若いビジネスマン風なロシア人の男性だった。2階の一角をすべて買い上げているようで、その中の何部屋かをホテルとして貸し出しているような感じ。



その部屋はビジネスホテルと同じ作りで生活感がないので、同じマンションにデニスが住んでたという実感が湧きづらかった。一度部屋に入ってしまうと、完全に自分の部屋のように馴染んでしまった。深夜の機内でうとうとしただけなのに、眠くならない。でも、ついさっき現場を見たはずなのに、同じマンションにいるのに、ここに来たという実感がない。日本にいる時と同じように、ぼんやりSNSを眺めてしまう。これじゃダメだ。せっかく来たんだから自分の目で色々なことを見てこなくては。



シャワーを浴びて、30分だけ仮眠して、次の約束の14時まで出かけることにした。マンションからバス停が少し遠いので歩くと、この辺りは私が初めてアルマトイに来た頃にワクワクしながら歩いてたくさん写真を撮ったエリアだと思い出した。

私にとって、アルマトイは住んだ所以外で世界で最も多く訪れている街だ。私には帰る田舎はない。スケート関係で何度も訪れているのが大阪、名古屋、札幌あたりだが、それより更に頻度は多い。そうなると自分の行動パターンも確立されて来てしまうので、このアルマトイの「ど中心」に来るのは久しぶりだった。

アルマトイに来てから、くしゃみが止まらない。デニスが私のこと噂してるのかしら…というのは冗談で、たぶん埃アレルギーだ。でも、そんな埃っぽい街にあの高貴なデニスが住んでたというのも、親近感が湧くから良い。

プリペイドカードの普及に伴い現金払いが倍に跳ね上がったバス。名物だった集金係は見かけなくなった。今回はもとが取れなそうだったのでカードの購入は見送り。現金払いで目的地へ向かう。




向かったのはカザフ国立民族大学の前の地下道。ここに最近出来たアートに、突然この世を去ったカザフスタン出身の3人の英雄、ヴィクトル・ツォイ、バティルハン・シュケノフ、そしてデニス・テンが描かれている。3年前のバティルハンの急逝時、生前に彼に会えなかったことを悔やんでいたデニス。彼自身、その3年後に自分が他界し、ここで対面してるなんて思わなかっただろう。

マンションに帰って来ると、ロビーにいた警備員さんに呼び止められた。高層マンションでかなりの人数が住んでるはずなのに、私を見て見かけない顔だと気づいたようで、出入りしている事情を知りたかったらしい。3日間だけ借りてると話すと、「わからないことがあったら何でも聞いてね」と言ってくれた。

14時過ぎ、Mちゃんに紹介して貰ったアイジャンが迎えに来た。社会人スケーターで、土日だけトレーニングをしている。一時期彼女のホームリンクにデニスも籍を置いていたそうで、一緒に練習していたそう。また、当時はデニスのことを知らなかったらしいが、デニスのお兄さんとは大学の同級生。現在の職場が墓地の近くのため、忙しくて来れないご親族に代わってマメに掃除などに行っているらしい。

18時からデニスの行きつけのお店を予約してくれていたが、朝から何も食べておらずお腹がペコペコだったので、ご飯に付き合って貰うことにした。



マンションから歩いてそのレストランに向かう途中に、事件現場がある。フェンスの中は運動場になっていて、この時も若い男性たちがトレーニングしていた。事件の時に限って、誰も使っていなかったらしい。朝にも一回来ているけど、今回は悲しみを共有できる相手が一緒だったので朝来た時以上に涙が込み上げてきてしまい、号泣した。

アルマトイに来たら、そこにデニスがいることを感じ取れるかもしれない、会えるかもしれない、そんな風に思っていたけど、私には見えないものを見たり感じる力がない。だから、感じられたのは「そこにデニスがいる、いた」というものより、「今、ここにデニスはいない」という現実の方が大きく、それが辛い。



向かったレストランは、デニスが事件前に最期の食事をしていたHEDONIST。アイジャンはここの存在を知らなかったが、事情を説明するとチーフらしき人がデニスが使っていた席に案内してくれた。



このレストランはオープンして2ヶ月だというから、デニスはオープンしたての時に行ってたことになる。3階席や4階のテラス席にもいたが、事件当日に食事をしたのは2階席。この席から向かい側に停めてる車もはっきりと見える。店員さんの話では、デニスはここから、自分の車のミラーを盗ろうとしている人間に気づいたという。そして店を飛び出して、逃げる犯人を追いかけた。アスリートだから足も速く、角を曲がったところで追いついて犯人を捕まえた。そこにやってきたもう一人に刺された、ということだった(でもこれだと友人が駆けつけるのに遅れたことに矛盾があるので、本当かはわかりません)。



その日頼んだのは牛ステーキとサーモンフィレ、タルタルソースだそう。肉と魚、両方いったか…。そして高い!カザフスタンテンゲは3で割ったくらいが日本円換算だけど、物価の感覚としては、この数字にそのまま円つけたときに高いと感じるか、が妥当だと思います。



すぐ3時間後に他のレストランの予約が控えていたので、ステーキとお茶だけ注文して2人でシェアさせて貰った。店員さんはそれを快くOKしてくれたどころか、最終的には「これは私の奢りです。お代はいりません」とご馳走してくれてしまったのだった。そんなつもりじゃなかったのにありがたいやら申し訳ないやら。また必ず来ます、HEDONIST。



予約の時間まで遊歩道のベンチでお互いのことを語りながら時間を潰して、次のレストランへ。デニスが頻繁に通っていたという「NEDELKA」。ここ、数年前に私がアバイ通りをだらだら歩いているときに「なんかオシャレなカフェあるー!」と思って写真撮ったところだった。



デニスがいつも座っていたという席の隣に腰を下ろした。アイジャンはここでデニスをほんとうに頻繁に見かけたそうで、最後に見たのは7月の初めだったという。



その時も含めて毎回頼んでいたのが、店名と同じNEDELKAというステーキに、付け合わせがブロッコリー。



同じものを頼んでみたが、なかなかアスリートらしい食事だ。しかしこのブロッコリーがものすごく美味しい。普段特に好んで食べないんだが、ここで食べたブロッコリーに感動した。なお、この日はステーキ食べ比べレースみたいになってしまったが、HEDONISTの方がずっと美味しい。値段に対してのボリューム的にも、こちらはもう少し庶民的なところなんだと思う(と言っても普通の市民にとってはお高めだと思うが)。



中央アジアで食事してると食べ物にハエがたかるのは日常茶飯事なので何も思わないが、ここもそうだった。なんか、ハエがたかるようなところでデニスもご飯食べてたんだなー、と妙に安心してしまった。

アルマトイに来てから「いない」ということばかり感じていたけど、なぜかこのNEDELKAではデニスがほんとうに隣にいるような感覚になった。ブロッコリーそんなに好きじゃないけど、君に勧められたから食べてみたらめちゃめちゃ美味しいね、そんな風に心の中で話しかけた。他人から見たら妄想に過ぎないけど、私の中ではほんとうにそこにいたということにしておく。



アイジャンは結弦くんの大ファン、と聞いていたので、いつのまにか家に複数体集まってしまった読売新聞を今回のお礼にプレゼントしたら、ものすごく喜んでくれた。デニスがよく食事をしていた席で結弦くんを広げる、シュールな光景だ。デニスと結弦くんは、確かに一度ちょっとしたトラブルがあったけど、私はその件に関してはどちらが悪いわけでもないと思っている。ただ、その後の周りの反応によりお互いに蟠りが残ってしまったのかもしれないとは思う。でも私たちは、お互いの国のチャンピオンを愛し、それと同時に自国のチャンピオンを尊敬している。そして、このアイジャンとの出会いも、デニスが死してなお、私にプレゼントしてくれたものだ。



お店から、予約してくれたお礼に、そしてデニスのためにわざわざ日本から来てくれたお礼にとケーキをプレゼントされた。カザフスタンのおもてなし精神の素晴らしさにまた触れてしまった。



今日の最後に、デニスが運ばれた病院へ連れてってもらうことになった。車を取りに行く途中でまた現場を通る。これまで今回の件に自分に非はないと思っていたし実際その通りのはずなんだけど、ここに来ると自分を責めてしまう。スケートが素敵で、かわいくて、かっこよくて、品があって、知的で、ユーモアもあって、それでいて親しくもしてくれて、大好きだったのに。助けてあげられなくて、ごめんね。



事件現場から病院は遠かった。車で15〜20分くらいかかる。アイジャンは、もっと近くに病院はあるけど、カザフスタンでは住んでいる地域によって行く病院が決まっているからここに運ばれたと言っていた。実際には現場の時点で手遅れだったんだろうけど、もっと早く治療してくれていればな、と思わずにいられない。



病院に向かう途中、目の前で衝突事故があった。命に別状はなかったようだけど、大破したのはレクサスだった。アルマトイは交通マナーも悪い。事故で命を落とす人も多い。

1日で、カザフスタンのいいところも悪いところも見た。寝てないから、一気に疲れが出てきた。明日はゴロフキンの試合があるそうで、アイジャンはそれ見てから迎えに来てくれるという。いよいよ、デニスが眠っている場所に行く。