父のお墓が私の生まれた家と近いので、久々に寄ってみました。私が「実家」と呼ぶのは母のマンション。生家は一軒家でした。
今は倉庫がわりになっている生家。狭い家に楽器もたくさんありました。よくも一家4人(+お手伝いさん)が住んでいたものです。
2段鍵盤のチェンバロも、当時のままありました。
父の遺品などが雑然と積んであるので遠景は撮れませんでしたが、リビングの真ん中にこんな大きな楽器があったんですよ!
楽器の下にちゃぶ台を置いてご飯食べたものだわねと、たまに家族で笑い話をしますが、あながち事実に遠からずでした。
リビングの隣の部屋にはグランドピアノが2台。手前はヤマハのフルコンサート。奥の方、黒い布がかけてあるのはスタンウェイ。
ピアノの道には進まなかった私ですが、もし母から何か一つもらえるならスタンウェイと思う程、温かく包み込む音色でした。
「でした」というのは…もう過去形になりつつあるから。
父が他界してしばらく、母はこの一軒家に頑張って住みました。ピアノの生徒さんも通ってくれました。しかし高齢になるにつれ、
一軒家の一人住まいが次第に辛く…。そしてピアノのレッスンは出稽古・あるいは外部スタジオでするようになりました。だから今、これらの楽器は「倉庫のガラクタ」同然の保管状態なのです。
母がチェンバロで演奏し、私も好きになったバッハのゴルトベルク変奏曲。弾きかけましたが、もはやちゃんとした音は鳴らず。
勿体無いけれど、母が長い間この家に手を付けられなかった気持ちはわかります。13回忌まで、いや、やっぱり17回忌まで待って…父との思い出があって、処分できずにいたのです。
先日、実家のマンションに新しいグランドピアノが搬入されました。弾く気・教える気マンマンです。防音工事も完璧でないのに!
下の階にアンタが住めば防音不要でしょ?…勝手に決めてる~
ようやく母もふっきれたのかな。終の住み家のイメージを描くのには、夫の急死から17年超の歳月が必要だったのでしょう。