娘が療育を始めてから、早いもので3年が経ちました。

3年前。
当時の娘は1歳8ヵ月。

ハイハイ、おすわりはできていましたが、一向に立つ気配がありませんでした。

普通ならば、もっと早くにリハビリを勧められると思うのですが、娘は先天性股関節脱臼の治療歴があり、牽引治療をしたり、ギプスをはめていて、10ヵ月まで物理的に運動ができない状態だったため、発達は遅れて当たり前ということで、様子見の期間が長かったです。

股関節の治療をしていたから、運動面は遅れて当然なのですが、意味のある言葉も出ないし、指差しもしないし、積み木も積めないし、「バー」とか「バイバー」と言いながら振る手は逆さまでした。

これは、逆さバイバイなのでは?
なんか、手をひらひらしてるのも気になる。。

娘は自閉症??

不安で不安で、検索魔になっていました。

早産で生まれたために、定期的に大学病院でフォローを受けていたのですが、その先生に相談するも、

「歩き始めたら視野が広がって変わってくるから伸びるよ。目もあってるし大丈夫だと思うよ。」

とのことでした。

それでも不安なことを訴えると、

「運動面に関しては、家で歩く練習するよりも専門家にやってもらったほうがいいから、PT受けてみようか?リハビリの病院を紹介しますね。」

「あとは集団の刺激で変わるかもしれないから、市の親子教室があるから、保健師さんに相談してみてくださいね。」

と言っていただき、ここから娘の療育が始まりました。

幸い、PTの方は紹介状があったのですぐに始めることができたのですが、問題だったのが市の親子教室。

当時の私は藁をもすがる想いで、何とか訓練すれば追いつくんじゃないかと必死だったので、受けられるものは受けたくて、早速保健師さんに相談しました。

ところが、帰ってきた答えが、

「療育というのは、病気や障害がある子が受けるものです。◯◯ちゃんが受けられる療育はありません!」

との冷たい答え。

病院の先生に言われたから相談しているのに、心配症の母親扱いで終わりました。

発達の遅れた娘を抱えて、見知らぬ土地で孤独で不安で、苦しかったのですが、そんな気持ちに寄り添ってくれることもなく。

今でも思い出すと腹が立ちますムキー

それ以来、私は娘の発達について、保健師さんや市の発達相談窓口で相談は一切しない、関わらないと心に決めたのでした。

病院で、専門的な知識のあるお医者さんに相談するのが一番です。

転勤族で、いずれ引っ越しが予定されていたので、無理して地域と繋がる必要もないと思いました。
今は引っ越してきて東京に住んでいます。
前住んでいた所よりも色々手厚いですが、デメリットもあります。また機会があれば書きます。

あれから3年の月日が流れ、逆さだったけどできていたバイバイもできなくなり、手遊びうたもしなくなり、目も合わなくなり、模倣もなくなりました。

歩き始めても、知的な部分は伸びませんでした。

娘は結局、重度の知的障害を伴う自閉症でした。
心配性扱いした保健師さん、どうしてくれるんだもやもや

やっぱり、母親の勘は当たっていました。

どうにかならないかと必死だったあの頃が、思い返すと一番辛かったです。

転勤族で知り合いもあまりいなかったし、孤独でした。

でも今は、相変わらず亀よりゆっくりな成長で、療育の成果もなかなか現れないけれど、あの頃ほど辛くはなくて、気持ちにも余裕ができてきました。
言葉は出ないし、理解もあまりしていないけれど、表情が豊かになってきたり、目が合うようになってきたり、指差した方を見れるようになったり、コップ飲みができるようになったりと、ほんのほんの少しの成長はあります。

当時は、健常の子に追いつくための療育でしたが、今は娘の障害を受け入れることができ、療育の目的が変わりました。

療育の目的は、娘の持っている力を最大限に引き伸ばし、出来ることを増やすことです。

娘がこれから生きていく中で、少しでも生きやすいように、できることを増やしたいです。

娘は、誰かに支援してもらわなければ生きていけないので、できるだけ支援してもらいやすいように、可愛がってもらえるような障害者になれるように、できることを増やし、問題行動は減らし、愛嬌のある子に育てたいなと思いますニコニコラブラブ