3年前にキューバに滞在した際にお世話になったハビエル一家を訪ねた。以前住んでいたアラマルと言う地区からは引っ越して、今は奥さんテレシータさんの実家に住んでいるという。ハバナの中央公園で待ち合わせをする。
迎えに来てくれたのは、お父さんのハビエルと息子のデニルソン。あんなに小さかったデニルソンの背が伸びて、随分男らしくなった。
アルメンドロン(古いアメ車)のタクシーに乗って、新しい家のあるBahía(バイーヤ)という場所へ向かう。昔彼らが住んでいたキューバの集合住宅街にそっくりな団地だ。
家に入ると奥さんのテレシータさんが笑顔で迎え入れてくれた。滅多に笑顔を見せない彼女。よほど嬉しかったのだろう。
2LDKの狭い家に家族6人が暮らしている。「ERIKOも泊まっていけ」というが、私の寝る場所なんてない。しかしもし私が泊まるといえば、どうにかしてしまうのが、キューバ人である。
キッチンと一緒になったテラスには、女性に噛み付くオウムのコッティーが変わらず重鎮している。家の中を見渡すと、何だか以前より殺風景で極端に物が少ない。
「引っ越しした物は全部運んだの?」
「運んだよ。なんで?」
「それにしては物が少ないなと思って」
お金がなくて売ってしまった物もあるのかな、と思った。
「ERIKO、実は来月アメリカに行くことになったんだ」
「えっ?そうなんだ。いつまで?」
「行きの切符しか買ってない。もうキューバには戻らないんだ」
ハビエルさんが昔から国を出たがっていたのは知っていたけど、本当に亡命するとは信じられなかったと同時に少し寂しかった。
「ERIKOは我々の生活を良く知っているから分かるでしょ。社会主義はうまくいかないんだよ。キューバ人にとってこの国は希望すら見えない。もちろん我々は一生キューバ人であり続けるし、誇りを持っている。だけど、キューバ人としてキューバで生きていくことはもうないんだ」
料理人として石油工場で働いていたハビエルさん。ベランダからは、彼が9年間、月10ドルの給料で働いた工場から吹き出す煙が見える。今、彼が見つめる視線の先は煙突の煙の先にあるマイヤミなのだ。
いつものように、美味しい豆ご飯に焼き豚肉をたくさん振舞ってくれる。
食事が終わるとお兄ちゃんのブライアンが学校から戻ってきた。今年18才になった彼は、なんともう子供がいたのだ。ただ相手家族と馬が合わないと言って、結婚はしないのだという。
この時期恒例のスコールの中をバス停まで歩いていく。家族全員で見送ってくれた。1ペソを持ってなかった私に、すかざずハビエルさんが私にコインを握らせた。
「マイアミで生活が安定したら、是非来て欲しい。きっともっと自由に色んなことができるだろうから」
中国製のバネのように揺れるグアグア(バス)から見た彼らの最後の笑顔は、雨の中で、期待と不安に入り混じっているように見えた。