ヒマラヤにも桜が満開です

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2015425日にネパールを襲った巨大地震。日本で放送されていた映像や情報では、大きな建物が崩壊した様などが散々放送されていたので、どんなことになっているかと心配していた。カトマンズ市内を回っていても、地震による被害は一部を除きほとんど気づかないほどだった。カトマンズの家族やガイドさんなどに聞いても、「壊れたのは一部のとても古い建物で、大部分は何も問題ないよ」という。

エベレスト街道を歩いていても、建物にヒビが入っているのも見かけたりもしたが、よほど注意してみないと分からかった。

 


           ナムチェ・バザールの朝


普段から山仕事に従事しているネパール人と話していると、常日頃から死と隣り合わせのような生活をしているので、自然災害は起こっても仕方がないという、ポジティブな諦めの心を持っているように思う。

ラテンアメリカでもそうだが、個人や人間の力ではどうしようもならないことに対しての上手な諦め方を知っている。日本人は、「諦めない」という美徳心があるゆえに、どこか自然災害に立ち向かうような作業をする傾向にある民族なのかもしれないと改めて感じる。

 



そして、個人的なことで前回と劇的に変化したことがある。それは、ネパール人の私に対する態度である。

今回出発前に、youmeschoolのライ君にお願いして、ネパール語のレッスンを何度か受けさせてもらった。2回目のネパールともなるのに、ナマステとダンニェバード(ありがとう)くらいしか話せないのでは何の進歩もないと思い、デーバナーガリ(ネパール文字)から手取り足取り教えてもらった。お陰で少しの会話ができるようになり、これが私のネパールのイメージを大きく変えたのだ。


前回もこのエベレスト街道を歩いていたのだが、ガイドやポーターさん、ロッジの人の私に対する眼差しは、お客さん、そして外国人を見る目だった。だが、ネパール語で話しかけてみると、一瞬で「もうあなた仲間だね」みたいな雰囲気が漂い、おばさんはお母さんにみたいに、おじさんはお父さんみたいに優しくなる。更には売り物であるお茶をご馳走してくれたりもするのだ。これがネパールか!と今更ながらに感激。言語を自分の中に取り入れることが、とてつもない価値に変わるのだと改めて実感した。

 

日本人と同じDNAの配列(YAP-D遺伝子)を持つと言われるチベット族。日本へやってきた人々の辿ったルートの1つがこのヒマラヤ山脈にある。ネパール語と日本語の文法はよく似ているので、もしかしたらそんな遠いつながりがあるのかもしれない。

 

この3日間の行程。

・ルクラーパクディン   2,600m 14.3km (下り)

・パクディンーナムチェ・バザール 3,480m  11.3km (登り)

・ナムチェ・バザールークムジュン村 3,780m  7.6km(登り)

を歩き、クムジュン村へ到着した。

ERIKO