2日だけ海女さんになりました~!


この島には興味を惹かれた観光客が随時訪れている。そのお客様の案内の大部分を任されているのが、「島の旅社」と呼ばれる、島唯一の観光会社である。
昨日今日は、伊勢や東京からお客様が来ていて、私も海女小屋(海女さんの小屋を再現したレストラン)でお手伝いをさせてもらった。
本物の海女さんたちに囲まれて、アマの私が海女の衣装を着るのは失礼ではないかと思ったが、彼女たちの快いお膳立てもあって、海女小屋で磯料理を炭火で焼いておもてなすという、貴重な体験をさせてもらった。

 

この海女小屋は答志(とうせ)にあるのだが、この地区には未だに、寝屋子屋文化が残っている。
この島で魚介類をいくら食べられなくても生きていけるが、寝屋子制度を知らなければ生活していけないだろうと思うくらい島の人々にとって大切な伝統である。そして、人と人とのコミュニケーションが薄れていっているこの日本で、考えさせられる制度でもある。

寝屋子は、昔でいう若者組に似たようなもので、古来全国的に分布していたが、現在はこの答志島の答志にしか残っていない制度であり、鳥羽市の無形遺産に指定されている。

この寝屋子制度とは、16歳になった男子が結婚するまで(大体26歳頃まで)、寝屋親と呼ばれる家で寝泊まりするというものである。
そして、寝屋親になる夫婦は生涯育ての親になる。そのほとんどが、人徳や責任感があり、経済力が安定している人が選ばれる。

そして、寝屋親は時として親よりも決定権を持つことになる。例えば、結婚をするときの初顔合わせも寝屋親が行い、良し悪しを判断したりする。

1つの寝屋子には、大体5人の子供たちが一緒に寝るのだが、彼らは朋輩(ほうばい)と言って、兄弟以上の絆を結ぶのだ。彼らは冠婚葬祭、墓掘りや棺に遺体を収める葬儀の一切を任される。(答志島は5年前まで土葬だった)


 

私の滞在している和具地区には寝屋子はもうないが、朋輩制度は残っており、「こいつは俺の朋輩や」と紹介されたり、朋輩の話をしたりするのは日常茶飯事である。

もちろん人間なので、合う合わないで朋輩同士でも解散するケースもある。しかし、誰からも距離を置けないこの島の環境で、人間関係の温度調整ができる島の人のある種の加減の取り方に私は感服する。

 


            寝屋親をしている愛さん


「今は寝屋子は10軒くらいかね」

愛さんは、答志で一番若い寝屋親。

「最近は盆と正月しか寝に来なくなったけど、みんな絆は深くて、めっちゃ熱いよ!」

自分の本当の息子たちのように、寝屋子の話をする彼女の実家も寝屋小屋をしていたのだそう。

 

人の家に勝手に上がったり、旅行に出かけても鍵をかけなかったり、地域で子供を育てる姿勢などの人々の精神の根底には、この寝屋子が大きく影響していることは、間違いないだろう。

寝屋子制度や朋輩、捨て子の風習など、この島には赤の他人と絆を強く結ぶための習慣がたくさんある。

「人の精神の安らぎには、自分の中の歴史が自然に連続しているという感覚が必要だ」と言っていた人類学者がいたが、まさに答志島の人々の暮らしは、コミュニケーションが希薄になった都会で生活する者から見ると、非常に健康的で、心に栄養が行き届いているようにみえる。



協力:島の旅社

ERIKO