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結局天気は晴れなかった。2週間も島にいたのに、大好きな山に登れないなんて、本当に残念だ。また島に来る理由として、次回の楽しみにとっておこう。
昨日は高橋家に昔海浜留学生として来ていた、アキラくんとその友達に会いに、また高橋家にいた。中学生の時不登校だったアキラくんは、高橋家が里親になって1年間利尻で過ごした。利尻で教師になる夢を叶え、今は埼玉で教員として働いている。その様子が放送された、24時間TVを観て感動した。10年間、毎年留学生の里親をしていた高橋家には、今でもその生徒たちが訪ねてくる。アキラくんも久しぶりの里帰りに、終始嬉しそうだった。
数年前に偶然出会った麒麟獅子の話と山への興味、そして私の活動が重なり、この島へやってくることができ、高橋さん、佐藤さんの家での滞在や島の皆さんとのかけがえのない出会いが生まれた。昆布の手伝い、ウニ漁、麒麟獅子との対面。どれも私の人生の大切な財産となる体験をさせてもらった。
その中でも、一番長い時間を過ごした高橋一家との時間は特別だった。漁だけで暮らしを支える大変さ、体力と地域のみんなとの人間関係、支え合い、自然環境に常に相対しながら生きていく生命力。
孤島という地で生きていくためには手に職を、生き延びていく術を身につけ、文字通り必死で生きていかなければならない。それができない者は、内地へ流れていった。島の人たちから溢れる、明るさ、ひたむきさ、時に必要な諦めのよさ、生命力。彼らはその厳しさを乗り越えてきた昔の人々の強い遺伝子を持っているのだ。圧倒されてしまうような、堂々としたエネルギー。旅から来た人(島の外の人間)と島の人の違いは、雰囲気ですぐに分かってしまう。彼らと向き合うと、自分自信の生命力や生きていくことについて問いただされているような気分になる。
私が思っていた、資本主義社会の中で疲れ切った、元気のない日本のイメージはどこかへいってしまった。いや、ここはある意味で外国なのかもしれない。
島の人々の家に鍵はかかっていない、ヤマトの運ちゃんも勝手に入って荷物置いて、出て行く時は玄関先に置いてあるゴミを持ち出して行く。車の鍵も挿しっぱなし。ガソリン代は現金で払わず、獲れたウニと交換する。ここには、いわゆる近代的社会のシステムが流通していない。
1940年代まで盛んに行われていたニシン漁。地球温暖化による海水温の上昇、変わっていく漁、人々の生活。これから島の生活や環境はどう変わっていくのだろう。自分たちの力ではどうにもならないことを諦める強さを持つ彼らは、変わっていくことを受け入れていけるのではないかと思う。どうしたって、人間は生きていかなければならない。
稚内から利尻島までのたった52kmの間には、心にも生活にも遠い距離がある。見送りに来てくれた高橋さん一家。本当は昆布を上げているはずの今日に、紀夫さんの姿があった。親戚一同、佐藤さん一家、観光協会の横山さん、祭りでほんの少し出会っただけの人と船の甲板からテープをつなぐ。
「また島に来てね~!」利尻の空に元気に響くママの声。
到着する時は元気に聞こえたフェリーの汽笛。今それは、遠い場所に連れていかれるような、切ない音となって私の胸に響く。小さくなっていくママと紀夫さんの泣き顔だけが、鮮明にはっきりと見えて、島は遠い遠いところへいってしまった。