お世話になった シェルパの家族 ソナム一家

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 出発の朝。お母さんのカミさんが、「これがあなたを守ってくれるわ」と、祈りを込めたベージュのカダ(シルクのスカーフ)を首に巻いてプレゼントしてくれた。
 一週間滞在したクムジュン村。当初は短すぎる滞在だと思っていたが、時間の流れがゆっくりなだけあって、一週間とは思えないほど長くも感じた。毎日通った道を進む。違うのは、もう同じ道を戻らないこと。
 仲良くしてくれた近所のシェルパのおばちゃん達に別れを告げ、子供達にクレヨンと画用紙をプレゼントさせてもらった。

 カトマンズ行きの空港のあるルクラまでは歩いて2日。道中は、長期の勤務を終えたコックのジャスさんが同行してくれる。
 ジャスさんはソナムさんのロッジに住み込みで働いていて、家族はルクラの近くにいる。モンスンーンが始めるオフシーズンのこの時期は、実家に戻るのだ。



     ビューホテルの入り口に立つソナムさん


 最後にソナムさんの働くエベレストビューホテルを訪ねた。家からホテルまでは急斜面を登り続けて30分。ビューホテルへ荷物を運ぶ村人をとすれ違う。

 「本当は、水道管を引いて、直接ホテルへ繋げることができるんです。でも、あえて人力で水を運ぶことを宮原さんは選んだんですよ。一人でも多くの村の人に仕事を与えられるように」

 ビューホテルは、村の人達にとって生活を支えてくれるものであり、誇りでもある。宮原さんのこの土地に対する愛情はこんな所でも感じられる。




                       クムジュン村

 丘の上からは、緑の屋根が点在するクムジュン村が見える。
 私には帰る場所があるからこそ、目にうつる景色がある。もしも私がここに住まいを構えようとしたなら、きっとまた違う風景が見えるはずである。ソナムさんの瞳の先に見えるものと、私が見ている風景は同じでありながら、違う物語を含んでいる。私はこの地において、旅人でしかないのだ。

 「今年は随分早く天候が変わったもんだ」
 あいにくの天気で残念ながら、周囲の景色は霧に包まれている。ソナムさんは窓の外を見ながら呟いた。

 15
分ほど滞在して、霧が晴れる見込みがないことに見切りをつけて、私とジャスさんは出発した。ナムチェバザール、見たことのある景色を思い出しながら進む。いくつかのチェックポイントで、証明書を提示する。

 そういえば、先日タンボチェへ行った時、チェックポイント付近で、証明書を家に忘れて来たことに気がついた。しかし、もう半分以上歩いた所だったので、引き返すわけにもいかない。「私ネパール人です(笑)」などと覚えている限りのネパール語で警察官から笑いを取り、なんとか証明書なしで通してもらった。こういう時には、ラテンアメリカで学んだ同情を誘う作戦がかなり役立つ。

 ファクディンまでは、おおよそ
67時間の道のり。途中、左足の膝裏の痛みが再発して、後半は膝を曲げられないほど痛みが強くなった。それでも歩く以外方法はない。9時にビューホテルを出発して、16時前に無事ファクディンに到着した。標高2,700m酸素がかなり濃い、贅沢だ。


☆今日のご飯☆


             バッファロー肉のハンバーグ

ERIKO