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7時起床。ダイニングへ行くと、お母さんのカミさんとコックのジョスさんはすでに働き出している。ミルクティーを飲みながら、窓越しにアマ・ダブラムをぼーっと眺める。この間出会ったドイツ人の青年は今あの山のどこにいるのだろう。
アマ・ダブラムは、アマ(母親)、ダブラム(抱く)という意味で、母親が子供を抱いているかのように見えるためその名が付いている。いつ見てもカッコイイ山だ。そう言えば、ラクパさんも、ヒマラヤで一番好きな山だと言っていたっけ。
私が教室へ入るなり、生徒達は、「Goodmorning Miss!」と言って、軍隊のように揃って規律し、手を横に揃える。私の方がビックリしてしまうほど礼儀正しい。鳥取県のパンフレットは大好評で、みんな穴が開いてしまうのではと思うほど凝視していた。特に大山のページには反応が大きかった。さすが山の子供達である。1クラス時間が45分しかないので、明日も続きをすることになった。
ヒラリー小学校にある寮は、長野県の松本市の支援で建てられたものである。こんな山の中の小さな村でも日本を身近に感じられるなんて感慨深い。
学校を出た後は、村の中を歩いた。今日は朝から山に雲がかかっていて、午後は天気が崩れそうだったので、まだ陽があるうちに外で出来ることをしようと思った。
村の通りにはいくつかアクセサリーやお土産屋さんなどの路店がある。外でお客さんを待っているシェルパの女性達と話しをした。
ある店のおばちゃんの息子さんは、野口健さんと仕事をしているそうで、店の中に野口さんの写真があった。徐々に近所の人達が集まって来て、片言のネパール語と英語でたわいもない話しをした。
「あなたシェルパみたいね。私の友達の●●シェルパに似てるわ!」
どうやら私に似たシェルパの友達がいるらしい。だから仲良く話してくれるのかと思った。
シェルパや山岳民族の人達は、外国人にとても慣れていて、対応もフレンドリーである。しかし、人として一歩踏み込んだところで彼らと接するようになるのは、なかなか時間がかかるものであると感じる。明日もまた通おう。
12時を過ぎると、停電になり、辺りは濃い霧に包まれ、霰が降り出した。ここでの生活は、天気よって活動が大きく左右される。
霰の地面を叩き付ける音。空気と混ざった湿った匂い。人々の天に対する眼差し。人の心が様々な出来事の情報を理解するスピードは、本当はとてつもなくゆっくりなのかもしれない。そんなことを感じながら、自分がこれまで何もかもが早く流れゆく世界で、どれほど豊かで恵まれた情報を見逃してきたのだろうと思う。
ここに住む人達は、現実を心で理解するスピードが同じ足取りで進んでいる。だから真の意味で、人生を生き、豊さを内包しているのだ。この霰は、そんな思いを私連れて来た。
☆今日のご飯☆
ディド シェルパの伝統料理 そば粉で作ってあるので、日本人の私にはどこか懐かしい味さえする。これに、ピリ辛のヤクチーズのスープを浸して食べる。
ERIKO
ERIKO