
ナムチェバザールを出発
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昨晩は夜中に何度も目が覚めて寝た気がしない。標高のせいか、何なのか理由はよく分からない。でも体調はすこぶる良好で、今の所筋肉痛もない。
朝、決まったようにラクパさんが体内酸素濃度を計る。今日も80以上と問題なし。計っている最中に、私のお腹がグルグルなっているのを聞いて、「雪崩が起ってますね」と笑わせる。
白砂糖のたくさんかかったシナモンパンケーキを食べて出発。天気は快晴で、昨日まで見えなかった周囲の山々の姿が露になる。6,000m級の山々が迫るようにそそり立っている。
あまりの大きさに、自分との距離感が掴めずに、山を見ながら歩くと足下がふらついてしまう。それは、すごいスピードで走り去る電車の側に立つ感覚に似ている。真っすぐ立っているつもりでも、何かしらの力に吸い寄せられるかのようだ。
この美しい山の連なりを、私が見ている瞬間、一体どれほどの人の眼差しが向けられているのだろうか。そして目に映る景色に何を思うのだろう。
予定より1時間早く、今日の宿泊ポイントである、キャンズマに到着した。3時間かかる所を2時間で歩いてしまった。標高は3,550m。部屋の窓からは、神々しく輝くタムセルクが見える。
正午、ヒマラヤ観光の井本さんの隊と出会った。ヒマラヤで再会出来るなんて、本当に嬉しい。井本さんはネパール語がペラペラ。ポーターさん達と話す姿はとてもかっこいい。1時間ほど話した後、彼らはナムチェバザールに向けて再び歩き出した。
お昼にはララと呼ばれる、日本のラーメンそっくりなものを食べて、ラクパさんや、エベレストBCから降りて来た、クライマーのシャルパと話しをした。
テンジンさんという名前の彼は、先日起った雪崩のまさにその渦中にいた。
「2分遅かったら、僕はここにいなかったよ」16人の命を失ったこの雪崩で、テンジンさんのすぐ後ろを歩きていたシェルパ達は、雪崩の海に吸い込まれていったのだ。その中にテンジンさんの従兄弟がいた。テンジンさんは遺体捜索をした後、BCに残された彼の遺品を彼の家族のもとに届けるため、一度下山している所だったのだ。
そんな想像を絶する体験をした後なのに、彼は飄々として冗談ばかり言っている。彼らにとって、死と生の境目は私達よりも不明確であり、尚かつ自然なのかもしれない。
「遠征に出かける前、妻は狂ったように僕を止めるよ。今回も行くと言ったら、携帯のSIMカードを川の中に捨てられてしまった。まぁ、すぐまた買ったけどね」エベレストという名前のビールを飲み干した彼は、また亡くなった従兄弟の家族の家へ向けて歩き出した。
このエベレスト街道という道は、様々な思いが交差する道なのだ。
ERIKO