盛大な朝食から1日が始まる。


   

7/20

 週末の土日は、D.F周辺地域を訪ねた。
土曜は、メキシコ・シティーから北へ車で
30分の、Tepotzotlan(テポトゥストラン)村とテオティワカン遺跡を訪ねた。
フアンが少し大きめのバンをレンタカーしてくれ、快適なドライブが始まった。

 テポトゥストランはナワトル語で“猫背”という意味。村に着くと、さっそく教会近くの食堂で朝ご飯。
メキシコ人は朝から本当によく食べる。テキーラを飲んでる人もちらほら。トルティージャにタコスに・・・ご飯が食べ終わると昼ごはんの計画を立て始める。私なんかお腹がいっぱいで食べ物のことなんかとても考えられない。






 テポトゥストラン村には、オトミス族という先住民族が住んでおり、民族衣装を着て民芸品を売っている姿を見かける。
この村の見所は、ビレイナト教会。

 もともとは
1585年、宣教師であった、サン・フランシスコ・ハビエルがオトミス族の人たちを宣教するために建てた学校であり、バロック、チュリゲレスコの建築様式である。






 教会に隣接した博物館では、金箔に塗られた教会跡やクリストバル・デ・ビジャルパンドの絵画を見ることができる。
金に囲まれた教会跡のサロンへ入ると、急に頭痛に襲われ、駆け足で見学して外へ出た。私が訪れた教会の中でも特に強い独特なエネルギーを感じる場所だった。
思えばバチカン以来かもしれない。バチカンでは強烈な頭痛と眩暈に襲われ、目的だったミケランジェロの絵のある美術館へも辿りつけなかったほどであった。頭痛を感じたのは私だけではなく、フアンもそうであった。




               太陽のピラミッド


テポトゥストラン村から、テオティワカンへ向かう。
私と子供たちは移動中グースカ寝てしまった。
車を降りるとすぐ正面に、巨大なピラミッドが見える。
遺跡というのは、写真で見比べるとほとんど同じように見えて、実際に見ると何もかもが違うのだ。




抑えているのは、ピラミッドの一番強いエネルギーが出ると言われるところ



 底辺が225m、高さ65mある太陽のピラミッドと呼ばれる、テオティワカン最大の建造物は、たくさんの観光客たちが蟻んこのように見える。
テオティワカン文明は、紀元前
26世紀にかけて栄えた、“神々の都市”の意味を持つ、巨大宗教都市であったと言われている。
頂上の中央には、ピラミッドから出る強いエネルギーが出るポイントと言われており、順番待ちで人々が代わる代わる親指をそのポイントに当てている。
頂上からは月の神殿や南北に貫く、死者の道、そしてまだ多くの遺跡が眠っているであろう林が見渡せる。一大観光地だと言うのに、日本人を一人も見かけなかった。

駐車場へ戻ると前輪のタイヤの空気が抜けて車が斜めに傾いている。男子がタイヤ交換に精を出す間、女性陣はお土産屋さんを物色し、タイヤが元通りになると、再びD.Fに向かって走り出した。
夜は疲れきって仕事を終える前に眠ってしまった。普段は疲れていても何とか頑張れるのだが、この日は予備電池も完全に切れてしまった。
外からは、セレナータを歌うマリアチの歌声が大音量で聞こえていたにも関わらず、いつの間にか眠ってしまった。





            ラス・マニャニータスでお祝い



 721日、日曜日。今日は、奥さんのアンヘルさんの誕生日である。
メキシコでは、世界共通だと思っていた、“バースデーソング”ではなく、“ラス・マニャニータス”と呼ばれる歌で祝福する。

 子供たちの寝坊とお祝いで、出発予定時刻を
40分ほどオーバーして出発。今日は町のいたる所で、グアダルーペ寺院へ巡礼する人たちの姿を見かける。
出発してまずすることと言えば、朝食。野外に設置された出店で、スープにケサディジャ、タコと昼食並の量を食べる。




         ヌエストラ・セニョーラ・デル・ロサリオ教会



D.Fから北東へ108km、銀が取れることで有名な、イダルゴ州にある“レアル(ミネラル)・デル・モンテ”に到着した。
この町の標高は
2,700m。メキシコ国内で、人が居住する一番高い場所である。

 



              二階建て観光バス



 二階建ての観光バスで村を一回り。娘のアリアナちゃんはすっかり私に懐いて、私の膝の上に座って観光。

 この町は、スペイン人が来る以前は、オトミ語で“マゴトゥスィ”と呼ばれていた。この地域は、金、銀などが取れる鉱山がいくつもあり、銀製品が安く手に入る場所として知られている。
16世紀後半まで、スペイン人のもとで発掘が進められていたが、その後一時放棄され、1739年に、ペドロ・ロメロ・デ・テレロスによって発掘作業が再開した。
イギリスからの鉱山移民者が住んでいた影響で、イギリスの方向を向いた、英国式のお墓や“パステル”と呼ばれるイギリス風のパンなどが存在する。また、メキシコで初めてテニスやサッカーの試合が行われた土地でもある。





レアル・デル・モンテでは一番古い、17271983年まで作業が行われていた、“アコスタ鉱山博物館”を見学した。
採取方法から使われていた機械、そして鉱山の中を見学できるようになっている。

 一通り見終えると、一台のタクシーに
7人詰め込み、パステルと銀を目指して町の中心へ向かった。
女子はアクセサリー屋が立ち並ぶ通りを一軒一軒立ち寄る。男子はその間店の外で待機し、「これどう思う?」と聞かれた時には、店の外から「どれも似合うよ」と返事をして、美味しそうなものを見つけては食べ、我々の買い物が終わるのを待つ。

 「パステルは絶対買わなきゃね!」

 老舗の店には行列ができ、かるく
1時間待ち。メキシコ人は美味しい食べ物のためなら、多少の我慢はへっちゃら。
1時間後には、25個のパステルが入った箱を持って笑顔で車に乗り込んだ。

 丸
2日間、あちこち連れて行ってくれた家族に感謝。




☆El plato del hoy☆ 今日のご飯



パステル レアル・デル・モンテの名物。パイ生地に甘い物から肉やツナまで様々な種類がある。



ERIKO