日墨協会を訪問した後、グアダルーペ寺院を訪ねた。
日墨協会では危うく睡魔に襲われかけていたマヌエルさんだったが、外の空気に触れて意識が戻ったようだった。
「Usted(丁寧語であなたの意)で話すのよしてくれ」
中米でUstedを使うのに慣れてしまったせいか、ついつい丁寧語で話してしまう。
「でもマヌエルさんは年上ですから」
「メキシコではあまり使わないよ。ほら、この赤信号みたいに誰も敬っちゃいないんだから」
D.Fの赤信号は多くの場合、“注意して進め”である。
グアダルーペ寺院の駐車場はほぼ満車。教会にも多くの人たちがつめかけている。
まずは地盤沈下が激しい旧寺院へ向かう。
入り口には、話に聞いていた、フアン・ディエゴの像が堂々と立っている。
クワウティトゥラン出身のチチメカ族であった彼は、ある日、この教会が建設される場所となったテペヤックの丘で、1531年12月9日、聖母グアダルーペから聖堂を建てるようにと告げられる。ディエゴはそれを司祭に伝えるが、信じてもらえなかった。
そこで彼は、聖母が現れた丘へ登り、冬に咲くはずのないバラをいっぱい抱えて教会へ持って行った。彼がバラ広げて見せると、彼の着ていたアジャーテと呼ばれるマントに、聖母グアダルーペの姿が浮びあがった。
それを見た司祭は彼を信じ、この地に寺院を建てたのである。
この聖母の出現は、フランスのルルド、ポルトガルのファーティマと並んで、バチカンの3大奇跡として認定されている。
「グアダルーペの体の一部に彼の顔が刻まれてるんだよ、ちょっとこっちに来て」
トイレに行きたかったこともあり、教会近くにあるお土産屋さんに入った。
「これで見てごらん」
彼の指差すグアダルーペの右目にルーペを当てると、フアン・ディエゴにそっくりの顔が浮かび上がった。
「グアダルーペは奇跡を起こす聖母として有名なんだよ。巡礼祭の日には、メキシコ全土からここに約8万人の人が訪れるんだ」
建築家のペドロ・ラミレス・バスケスによって新しく建てられた聖堂は、どの位置からでも見ることのできる神殿を崇拝をしていた先住民たちに合わせて、円形型をしており、中央に飾られているグアダルーペがどの方向からでも見ることができる設計となっている。
グアダルーペが祭られている祭壇の下はエスカレーターが通っており、見上げるようにして間近で見ることができる。
この構造は、ブラジルのノッサ・セニョーラ・アパレシーダとそっくりである。
先ほど立ち寄ったお土産屋で、かわいいペンダントを見つけた私は、お店へ戻り、グアダルーペの絵と一緒に購入した。
「ガイドになってからこんなことするのは初めてだけどね、エリコは僕の息子の大切な友達だし、もう現職を離れているから言うけど、我々ガイドはお土産でお客さんが買い物をすると、必ずコミッションがもらえるんだ。それはどこの国でも一緒だけど。さっきエリコが買った189ペソで、これだけお金が返ってくるんだよ」
マヌエルさんの大きな手には、30ペソが乗っている。
「これを駐車場代に使おう」
駐車料金はほぼコミッションで戻ってきた金額と同じだった。
「グアダルーペの奇跡を見たかい?」
私が大笑いすると彼は「笑うなんて失礼だ」と言って、笑いをこらえた。私たちの絆はグアダルーペによってより一層深まった。
お決まりの夕方のスコールは、小さな雹へと変わり、家へ帰ると、何も食べていなかった私たちに、アンヘルさんが温かい食事を用意してくれていた。夜にはまた楽しい家族の団欒が始まる。
☆El plato del hoy☆ 今日のご飯