マクシミリアン皇帝


7/17

 フアン・マヌエル一家の子供たちはよく手伝いをする。食事のテーブルの準備や簡単な料理を作ったり、食後は進んで片づけをし、妹の面倒もよく見る。

プエルト・エスコンディードの家で、サラダを作った時、洗剤でレタスや野菜を洗っているのを見てこの家だけかと思ったが、やはりメキシコはどこの家庭も洗剤を使用して野菜などを洗い、その後、消毒水にしばらく浸してから料理をする。汚染されている水道水から感染する病気を防ぐためなのだそうだ。

フアン一家は毎日しっかりとした夕食を取る。夕食を食べる習慣がある国は、今思うとブラジル以来で、すっかり食べない生活に慣れてしまった私は、13食がどうも過食に感じてしまう。
でもその分、家族と過ごす時間は長くなり、団欒を楽しんでいる。奥さんのアンヘルさんは、私が色んなメキシコ料理を試せるようにと、朝食にまで気を使って毎日違ったメニューを振舞ってくれる。



                        チャペルテペック城


今日は市内観光。一人でも大丈夫だという私をよそに、息子のダビッド君が安全を考慮して一緒に同行してくれることになった。町に着くまで終始車の中で眠そうな顔をしていたが、車から降りると、頼りになる男の顔に変わって、町や場所の説明を始めた。

まずは、昨日来た国立人類学博物館の向かいにある、チャプルテペック公園内にある、チャペルテペック城へ向かう。
この公園内には、人口湖、動物園、美術館などがあり、平日というのにたくさんのメキシコ人で賑わっている。




お城へまっすぐ続く、レフォルマ通りは、ベニート・フアネス政権時代に、大幅な政治や教育、経済改革を行った、レフォルマ時代にちなんで付けられた。


 国立歴史博物館が内部にある、チャペルテペック城は、1785年スペインから派遣された統治者のベルナルド・デ・ガルベスが、別荘として建てたのに始まり、その後、ナポレオン3世が送った、ハプスブルグ家のマクシミリアン皇帝が宮殿に改造した。
メキシコ革命が勃発した時期の独裁者である、ディアス大統領夫妻の公邸としても使われていた歴史があり、唯一アメリカ大陸で人が住んだお城である。



                   城内


城全体はヨーロッパ調に作られているのに、名前の由来は、ナワトル語の“チャプリン”という、バッタのような虫から来ており、“バッタの丘”を意味する。
実はちょうど昨晩、チャプリンを試食したところで、忘れがたい城の名前となった。イナゴを一回り小さくしたチャプリンは、噛むと酸っぱく、梅干そっくりの味がする。
最初は「お腹の所が気持ち悪い」などと言って触ることもままならなかったが、一匹食べた後には、すっかり気に入って、気づけば
20匹以上も食べた。



             城の語源になった“チャプリン”


丘の上に建つ城は、標高2,325mの地点にある。昨日頭痛がしたのは、もしかしたら標高のせいだったかもしれない。気候も肌寒く、D.Fに着いてから奥にしまっていたセーターを引っ張り出した。

城内の各部屋の豪華な装飾品も圧巻だが、所々飾ってある巨大な壁画も見所の一つだった。

 

次はこの町が始まった中心地のソカロ広場へタクシーで向かう。「グアダルーペを飾っている車を選びなさい」とフアンに言われていたので、車内を外からチェックして乗り込む。
グアダルーペは、メキシコ全国民から圧倒的に支持されている、黒い髪と褐色の肌をした聖母で、町のあちこちに祭られている。
ブラジルでいうと、ノッサ・セニョーラ・アパレシーダに値する聖母だろう。

 ソカロ広場の“ソカロ”とは、メキシコの国旗にも使用されている、蛇を咥えた鷲のことを表す。
スペイン人がやってくる前、この辺りはアステカ文明が栄えていた。




               テンプロ・マジョ-ル



 アステカとは、1216世紀に栄えた文明で、野性的なチチメカ族が住んでいた、ナワトル語で“鷺の場所”を意味するアストランという場所で信仰されていた、Huitzilopochtli(ウィットスィロポシュトゥリ)という戦いと天の神が、「蛇を食べる鷲がいる土地が住むのに最適な場所」と唱え、彼らが探しに探した挙句に見つかったのが、その昔巨大な湖であったこの場所である。

 彼らは湖を埋めて神殿を建設し、この場所を中心地としたのである。ソカロ広場のすぐ近くにある、“テンプロ・マジョール”と呼ばれる神殿は、最近になって発見された、大変重要なアステカの中央神殿である。
アストランの人々は、自分たちのことを“メシカ”と呼んでいたが(現在の
Mexicoの語源)、19世紀にドイツ人のアレクサンダー・ボン・ハンボルドとウィリアム・H・プレスコットによって、“アステカ”という固有名詞が定着した。



                     大聖堂


 今日のソカロ広場は、オアハカ州の教師によるストライキで、見渡す限りテントしか見えない。
広場の東側には、征服者のエルナン・コルテスによって建てられた大聖堂がある。

 コルテスによって建てられた初期の教会は小さく、その後スペイン人のカルロス・キントとクレメンテ
7世によって再建築がなされた。金の装飾が特徴的な内部は、初期に設計を担当していた、ホセ・ダミアン・オルティス・カストロの死後、1793年~1813年まで、有名なメキシコの建築家、マヌエル・トルサによって改装が施されている。中を歩くと少し斜めに傾いているのが分かる。

 大昔湖だったこの辺りにアステカ人が神殿を作り、スペイン人がその神殿の上に教会や町を作ったため、町に建てられた建造物は沈んでいるものも少なくない。大聖堂もそのうちの一つなのである。ちなみにこの聖堂は、ケツアルコアトルとシペの神様が祭られた神殿の上に建っている。



                  国立宮殿


向かいにある国立宮殿はストライキの影響で閉鎖されており、中を見学することはできなかった。
ダビッドはアメリカン・フットボールの練習の時間が迫っていたので家へ戻り、テンプロ・マジョールを見学して、迎えに来てくれたフアンの妹のアンへレスさんと落ち合った。仕事で疲れているはずなのに、「べジャス・アルテス宮殿には行った?」と、町を案内しながら宮殿へ連れて行ってくれた。




             ベッジャ・アルテス宮殿内


 この宮殿は、メキシコで最も格式の高い大劇場で、内装はメキシコ風アールデコ調にデザインされている。
ここでは、オペラ、コンサートなどが行われており、劇場の壁画にはメキシコの歴史が描かれた、シロケイス、リベラ、オロスコなどの巨大な作品を見ることができる。
現在は、去年亡くなった、メキシコ人作家のカルロス・フエンテスの特別展示も行われている。

 宮殿を出ると、雷と雨で一気に町はどんよりとして見える。アンへレスさんと家までの長いドライブを楽しみながら、帰路に着いた。



☆El plato del hoy☆ 今日のご飯



トスタードと呼ばれる、硬い生地のタコ。メキシコ人にとってタコは日本人の白米のような食材である。“食べる”(Comer)を、“Taquear"(タケアル)というほど重要な食べ物。

ERIKO