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 プエルト・エスコンディードからアカプルコを経由して12時間、D.Fに着いた。
バスは
ENTという会社のハイクラスバスで、料金は約9千円と割高だが、座席は広々としていて、wi-fiも完備してあり快適な旅だった。
私の席の隣にはロンリープラネットのチベットの本を持った、アルゼンチン人と思われる短髪の女性が座っている。


 私たちは
D.Fに着くまでの12時間、ほとんど会話をしなかった。現実に自分に一番近くにいる彼女のことを私は何も知らず、まだ会ったこともない人を目がけてここに座っているのも不思議なことである。そのようなすれ違いを何度繰り返したんだろう。最後まで私と彼女は一番近くの距離で、“出会う”ことはなかった。人は実際に遭遇する様々なものより、頭や心の中で生きている時間の方が長いのかもしれない。

 D.F北部のバスターミナルはどでかく、こじんまりとした所だと想像していたので、拍子抜けしてしまった。メキシコ・シティーは世界一の人口を誇る大都市なのだ。郊外を加えると、2000万人もの人が住んでいる。

バス停にはD.Fでお世話になる、フアン・マヌエルさんが迎えに来てくれた。フアンさんを紹介してくれたのは、アルゼンチンでお世話になった、マウリシオ。彼は最近、日本版画の工房を作り、芸術仲間と共に作品製作に励んでいる。フアンとマウリシオは、昔の仕事仲間であり、マウリシオはとうに引退してしまったが、フアンは現在社長となって仕事を続けている。

 彼の家はメキシコ・シティーの北部の、テナユカ地区にある。
家の近くには線路が走っており、これがこれまで何度も噂で聞いてきた、アメリカ合衆国へ続く通称“ラ・べスティア”と呼ばれる列車である。



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 ニカラグア、ホンジュラス、エルサルバドルなどの中米の人々が仕事を求めてこの列車に乗り込み、米国への入国を試みるが、たくさんの人たちがこのメキシコで列車から振り落とされ手足をなくしたり、殺されたりしている。
中米を旅している時、町でお金を求め歩く、体の一部が無くなった人たちをたくさん見かけたが、彼らはこの列車から落ちた人たちであると、その時家族が教えてくれたのだった。ホンジュラスにはそのような人たちの生活を助けるための団体もある。
家まで届くこの列車の汽笛は、中南米の悲しい現実と律儀で温かい人たちを思い出させ、胸が痛む。





               集合住宅になっている家


 お世話になるフアン・マヌエルさん一家は6人家族。奥さんのアンへラさん、息子のダビッド君(16才)、マルコ君(12才)、娘のアリアナちゃん(6才)、それにフアンさんの妹、アンへレスさんが居候し、お手伝いさんのマリさんが働いている。
今は夏休みの時期なので、家の外も中もずいぶん賑やか。
初日は家族でテーブルを囲み、メキシコの話や鳥取県の写真を見せたりして、夜遅くまで団欒が続いた。

 昨晩は熟睡した。思えば、しばらく野外で寝ていたこともあって、やはり壁のある部屋は安心感が違う。家って本当にすごいなと思う。

 フアンが会社に出勤するのに合わせて、
D.Fの中心街へ出る。

 「普段は渋滞がすごいんだけど、今学生が休みだからすごく空いてる」

 確かにこんな大都市でスイスイ走れるなんて珍しいことである。フアンの会社は、
Reformaという大通りにある。






                  国立人類学博物館



 大使館を訪問した後、その足で兼ねてから行きたかった、国立人類学博物館を訪ねた。
この博物館は、建築家のペドロ・ラミレス・ベラスケスが設計した、広さ
93371㎡と、世界有数の規模と内容を誇る、まさにメキシコ古代文明の集大成である。
人類の起源からアメリカの起源、テオティワカンやトルテカ、アステカ、マヤ文明、そしてメキシコに存在する先住民族に至るまで、これまで訪れた場所や学んだことの知識が更に深まった、有意義な時間だった。
先住民族のセクションは、生活の様子を再現した等身大の模型や彼らの言語で話す語りや歌が流れ、全ての説明書きを丸写ししたいほどだった。結局博物館には
6時間以上滞在し、外へ出ると少し頭痛がした。





レフォルマ通りを散歩しながら、フアンのオフィスへ戻る。
サラリーマンたちは忙しなく闊歩し、中には空港などで使われている、立ちながら移動できるローラーの付いた自動の乗り物を使っている人もいる。流行なのか、すれ違うサラリーマンは紫色のネクタイをしめている男性が多い。

 こうやって町を一人で歩いていると東京を思い出す。自然いっぱいの土地ばかり旅していたせいか、この久しぶりの大都会に少しばかり心が窮屈に感じる。東京に戻る順応には最適かもしれないが。




              フアン・マヌエルさん


 フアンさんのオフィスには13人の社員が働いている。

 「ここで働く人たちはみんなとてもいい人だから。僕がいないときでも何かあったらいつでも訪ねてきて平気だから」

 社員の人たちは少々疲れた表情を押し殺しながら、笑顔で温かく迎えてくれた。こうして
D.Fでの生活が始まっている。



☆El plato del hoy☆ 今日のご飯


エンパナーダ 中にハムとチーズが入ったフライ

ERIKO