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滞在しているプエルト・エスコンディードは、もともとプント・エスコンディード(隠された地点)という、海賊たちが宝を隠していたという伝説のもとにその名が付いた。のちに、隠れ家的な漁村と近郊で採れるコーヒーを輸出していたことから、プエルト(港)と呼ばれるようになる。
飲み水の確保が困難だったこの地域は、多くの村人たちが去っていったが、1930年以降に現れた、ギジェルモ・ロハス・ミハンゴスの動きによって、コーヒーの輸出が盛んになり、移住者も増え、重要な町へと発展を遂げていった。
現在は4万5千人の人たちが住む港町である。
“いい波が立つ”と評判の太平洋に面するこの辺りの海岸は、世界中からサーファーが集まる、サーフィンのメッカ。6つあるビーチの内、特にシカテラ海岸はベストシーズンの5月~11月にかけて、10mを越す波が立ち、サーフィンの国際大会なども行われている。
「ここに来てサーフィンして帰らなかったら、何しに来たと言われちゃうわよ」
クラウディアさんの友人である、インストラクターのジミーからレッスンを受けることになった。約束の8時半少し前にビーチに着くと、すでに多くの人たちが沖合いで波と睨めっこしている。
今日私がサーフをする海岸は、初心者用でプロの人たちはほとんどおらず、見る限り1人に1人インストラクターが付いている。
「時間ぴったりだね」
「日本人だから」
ジミーはビーチの前にあるレストランを経営しながらサーフィンの指導をしている。24歳でこの道12年のベテランである。体にタトゥーも入っていないし、短髪でちゃらちゃらした印象を与えない、この地域の人には珍しいタイプである。
「肌、すごいやけてるね」
「はは、僕のは生まれつきだよ」
プエルトエスコンディードにいると、こんなにやけている私でさえ、白く見えてしまう。
前回サーフィンデビューをしたエクアドルでは、ショートボードだったので、今回はロングに乗ることにした。波の引力はすさまじく、膝下まで浸かっているだけで体ごと持って行かれそうになる。波の高さは1m50cmくらい。
3回目のトライで板に立つことができた。
「ヨガがかなんかやってる?」
「たまに。ダンスをずっと習ってます」
「なるほどね、すぐ立てる子は大体ヨガかバレエとかやってる子が多いんだ。初心者で人によっては海に入る前にヨガをやってから来てとお願いするときもある位、サーフィンと共通する動きが多いんだよ」
その後も何度も波に乗っては沖へを繰り返し、気が付けば3時間近くも海の中にいた。朝から小雨が降っていたので、日焼けも少なくて済んだ。そろそろ日本へ帰るのだから、太陽になるべく当たらないようにしなければと思っている。事務所の社長が私の肌を見たらなんというだろうか・・・想像するだけでドキドキする。
家へ戻ると、シャダニちゃんが、グアヘを振り回して機嫌良さそうに遊んでいる。
グアヘとは、オアハカ州にたくさん生殖しているマメ科の植物で、“オアハカ”という名前は、Huaxyacac(ウワヘヤカ)、先住民の言葉で、“グアヘの場所”という意味である。
その土地土地で出会う植物や食べ物、習慣は、場所の成り立ちや歴史と密接した関係を持っている。私にとっての旅というものは、人の生活がある場所で自分で構築した常識を壊す作業なのかもしれない。
シャダニちゃんが教えてくれたオアハカの意味は決して忘れないだろう。
今日は夕方から、この家のお手伝いさんである、ド-ニャ・マリの家へ泊まりに行く。マリさんはサポテコ族で、私がサポテコのことを知りたいと話したら、快く家へ招いてくれたのだ。
「ベッドが足りないから、寝袋持っていってね」
ついに土の上で寝るときが来たかもしれない。屋根はからぶきか、電気や水はあるか、勝手な想像を膨らませながら、仕事が終わったマリさんとバス停へ向かって歩き出す。
「コレクティーボに乗りましょう」
バス停のサインなんかどこにも見当たらない、知る人ぞ知るバスの停車場で、コレクティーボと呼ばれる乗り合いタクシーを待つ。待てど待てど、やって来る車は満員で乗れない。やっと止まった車は前に一人、後ろに3人乗っている。
「Orale! Orale!」(乗って、乗って!)
助手席に乗った私は、先に乗っていたバナナを大量に持ったおじさんとドライバーに挟まれるようにして、半ケツ状態。乗ろうと思えば乗れるもんだな。ドライバーがギアチェンジをする度に、太ももにギアチェンジャーが食い込む。
身動きできない状態に更に見たこともない赤茶色の蜘蛛が私の腕を這っている。
「ちょっと取って!」
ドライバーは一発で蜘蛛をキャッチし、窓の外へ放り投げた。蜘蛛は大好きだが、形も色も初めて見た種類で毒を持っていたらどうしようなどと余計なことを考えてしまい少々大げさに驚いてしまったのだ。ドライバーは私のリアクションに腹を抱えて笑っている。
20分ほどでマリさんの家があるパルト・アルタ・デ・ラ・ラサロ村に到着した。谷間にあるようで、周囲には小高い緑の丘が見渡せ、遠くに空の一部のようにして海が見える。そこら中石だらけで、坂が多い。
マリさんの家は現在建設中で、コンクリートがむき出しになっているが、立派な家である。からぶき屋根の予想は一気に裏切られてしまった。
タクシー代を立て替えてくれたので、お金を渡すと、「いらない、いらない」と言う。私は彼女の掌に無理やり10ペソを乗せ、包み込むようにして握り拳を作った。
とっくに5時を回っていたが、遅めの昼食を食べる。大判のトルティージャにフリホーレスと焼き卵を包んで口へ運ぶ。朝から運動したせいか、味は一層美味しく感じる。
夕方は近所に住むマリさんの弟夫婦が家にやって来て、意気投合し彼らの家にも遊びに行かせてもらった。初日なのに、まるで久しぶりに里帰りした親戚のようである。
ERIKO