ドン・フアンさん


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 “星の王子さま”の作者、サン・ペグジュペリの妻であったコンスエロ・スンシン・デ・サンドバルのふるさとである、ソンソナンテ県にあるアルメニアを訪ねることができた。

 私が初めてコンスエロのことを知ったのは、東京で行われているメキシコ勉強会の授業だった。
エルサルバドルでは、コンスエロはもとより“星の王子さま”がエルサルバドルと関係があるという認知度は低く、なかなか情報が掴めなかったのが、先日大使館主催のアート展の待ち時間に出会った大統領府に務めるペドロさんが、コンスエロに詳しい詩人のフアン・デ・ディオス・ガランさんを紹介してくれた。

 ドン・フアンはアルメニアの文化活動に大変貢献をしている方で、彼以外にコンスエロに詳しい人はいないと言われている。
平日ということもあり、ペドロさんは残念ながら同行できなかったが、彼の知人である
10チャンネルのTV局で働くデイビッドさんが同行してくれることになった。
数奇な人生を送ったコンスエロは、世界で聖書の次に売れている本、サン・ペグジュペリの“星の王子さま”はもちろん、彼の他の作品や人生そのものに大きな影響を与えた人物である。彼の作品が好きな私としてはどうしても訪ねてみたかった土地である。

 アルメニアまではサンサルバドルから車で
30分。今日は晴れていてイサルコ火山がバッチリ見える。ドン・フアンさんの家は、彼の名前が付いた通りに面していた。

 『どうぞ中に入って下さい。主人はいつも出かけているので、今日は本当にタイミングがよかったです』

 鮮やかなブルーの服を着た奥さんが出迎えてくれた。

 『来てくれてありがとう!かわいい子が来ると聞いてとても楽しみにしてましたよ!ハハハ!』

 フアンさんと奥様のマビアさん、孫のグラビスさんは私の訪問をとても喜んでくれた。花が咲き乱れるパティオにイスを並べ、世間話しをしたあと、フアンさんはコンスエロに関する大量の資料を並べてくれた。

 『僕が彼女と会った時はすでにセニョーラ(既婚者)になってからでした。小さい頃は近所で評判の変わり者の夢見がちの女性で、彼女に誰も付いていけなかったようです』



                

   コンスエロ



 コンスエロは女王さまと踊り子を夢見ていた。周りが冷たい視線で彼女を見つめる中、アメリカ
 サンフランシスコへ法律の勉強の奨学金を得ることに成功し、父と渡米する。
その後、ロサンゼルスで念願だったタンゴダンサーとして舞台を踏み、メキシコ人のキャプテン・リカルド・カルデナスと恋に落ち結婚するも、数ヶ月後に旦那を列車事故で亡くす。
1926年、新聞記者で外交官として知られているグアテマラ人のエンリケ・ゴメス・カリジョと結婚するも、11ヶ月後に彼が亡くなってしまう。彼の残した遺産で、コンスエロは絵を描き、執筆活動に励む。(Memorias de OppedeMemorias de la Rosaの作品を残す)
1930年、当時アルゼンチン大統領だったイポリト・イリゴージェンの招待でアルゼンチンを訪問した際に、サン・ペグジュペリと出会う。ちなみに彼らが初めて出会った場所は老舗のカフェ、“Café Tortoni”の地下である。


 アルメニアで彼女の親戚などに会えるのを期待したが、コンスエロは子供を授かっておらず、現在血が繋がっているのは、従兄弟にあたるグラディーズ・アビガリさんだけで、彼女はサンサルバドルに在住している。



ドン・フアンさんの部屋 吊るしてある空き缶は地震察知用 


 ドン・フアンさんは以前、コンスエロの調査でここを訪ねた、平野ユキタカさんとの思い出を懐かしそうに語った。

 『多分私が死ぬまでにあなたと会うのもこれで最後でしょう。夢のような時間です。この瞬間をどうか忘れないで欲しい』

 最後にドン・フアンさんはコンスエロの生家を案内してくれた。
孫のマビアさんは私のことを随分気に入ってくれたようで、片時も私の側から離れず腕を掴んでいる。たわいもない話しからふと家族の質問をすると、彼女はのどを詰まらせて涙を溜めた。私は何も言わず彼女の肩を抱きながら歩みを進めた。



           コンスエロの家があった場所


                        当時の家の写真



 家から5ブロックほど離れたトタンの塀に囲まれた場所がコンスエロの生家であった。ハンモックで昼寝をしていた年配の女性に中へ入れてもらう。

 『この家は、
2001年の地震で崩壊してしまって今残っているのは床しかないんだ』

 家の奥にはざっと
20羽はいるであろう鶏がウロウロしている。強い日差しで頭が朦朧としながら写真を撮った。

 星の王子さまを通してコンスエロを知り、ダビッドさんやフアンさんとその家族、そしてアルメニアの土地を知ることができた。コンスエロの歴史を辿れたことはもちろん、私にとっては彼らと過ごした時間が何よりの宝物となった。

 サンサルバドルに戻り、ダビッドさんが働く
TV局で短いインタビューを受け、帰路に着いた。



              ドン・フアンさんの家族

ERIKO