
チリポ山
4/23
昨日雨が降ったお陰で寒さに震えることなく12時間丸々熟睡した。なかなか寝袋も快適である。しかしその快適さが外へ出るのを億劫にさせる。
午前4時、シニアさんはテキパキと出発の準備をするので、のそのそと寝袋から這い出た。今日は山小屋のある3,500m地点から、富士山よりも少し高い頂上の3,820mまで登る。女子2人で登るのは不安だったので、コスタリカ3人グループに同行することになった。
道のりは5kmと言え、昨日の足の疲労と低酸素、さらに急な山道が精神と体を追いつめる。半分の2.5km地点に着いてもまだチリポ山の姿は見えない。
チリポ山のある、“ラ・アミスタ国立公園”内には8つの登山コースがあり、Valle de las Morrenas(モレーンの谷)が一番長い距離のトレッキングコースとなっている。山小屋で働く人達の一番のオススメはCrestones(露頭)と呼ばれる所で、公園内で一番美しい特別な場所なのだそうだ。
私達は朝日に照らされるクリストネスを眺めながら進んだ。
天気は快晴。一つ山を越えた地点で、Valle de los lagos(谷の湖)、Laguna Ditkebi(ディトゥケビ湖)、そしてゴツゴツした岩山のチリポ山が姿を現した。頂上には風になびくコスタリカのブルーと白と赤の国旗が小さく見える。酸素も薄くなり、堂々とそびえ立つチリポの姿を眺めると、意思が霞み始める。足下だけを見て前に進むことにした。山の姿と山頂付近で両手を使ってよじ上る人達の姿を見ると後ずさりしてしまいそうになるからだ。自分の弱さを噛み締める。
360度見渡す限りため息の出る景色に、改めてたくさんの偶然が重なってこの景色が見られるのだと感じる。山登りを重ねる度に、目には見えない神様にも似た山の神聖さに触れる。山の頂きに立てばいつでもこの景色が見られるわけでもない。雲に覆われて何も見えないことだってある。
風が吹き、鳥が鳴き、雨が降り、葉がざわめく山は、呼吸をしながら表情を露にする。そのどの側面を見るかは、いつでも自分の心の目が決めるのだ。私は登山前、『あなたが許す限りのところまで登らせて下さい。そして見せてくれる限りの美しさを見せて下さい』と心の中で言う。とてもじゃないが、頂上を制覇しようとか、登ってやろうという気持ちにはそうそうなれない。山は私にとって自分を見せてくれる鏡でもあるのだ。
そして下山した後も、その山のことを思い出すだけでふっと心が軽くなるのだ。ただそのことを思うだけで。
夕方、満月になりそうな大きな月が昇った。私がこの世に来る前も去った後も、この景色はここにある。この世に滞在できる日数の何日、私は永遠の景色の中に居ることができるだろうか。
ERIKO