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早朝、マリアさんに空港まで送ってもらい、グアヤキルからガラパゴス諸島のバルトラ島へ向かう。ガラパゴス諸島はエクアドルから西に1200km、1時間の時差がある。今回の旅行は旅に今協力して頂いているSURTREKさんのツアーに参加する。私がこれまでに使ったエクアドル国内の空港はどこもきれいで、観光客への対応も非常にしっかりしているので安心して旅行ができる。
バルトラ島の空港を出ると、今日ガイドを務めてくれる、公認免許を持ったナチュラリスト・ガイドのエドウィンさんが待っていてくれた。丁寧に英語で話しかけてくれたのでスペイン語で返事をすると、一気に顔の表情が明るくなり、緊張がほぐれたようだった。
今日の行程は個人のプライベートツアー。着陸したバルトラ島は、第二次世界大戦の時、アメリカ軍の基地があった場所で今でもあちこちにその当時に建てられた小屋の跡などがある。当時の様子は“The Rock”という映画でも知ることができる。
バルトラ島から小型のボートで、ベース滞在先となるサンタクルス島で移動する。
1535年スペイン人のトーマス・デ・ベルランガによって発見されたガラパゴス諸島は、13の大きい島、6つの小さな島、42の孤島から成り立っており、ペルー海流、パナマ海流、南赤道海流の3つの海流が重なり独自の気候を生み出している。オーストラリアのグレートバリアリーフに続く世界で2番目の広さを誇る海洋保護区でもある。ゾウガメの甲羅が馬の鞍(昔のカステリャーノ語でGalapago)に似ていたことからガラパゴスと呼ばれるようになった。
サンタクルス島は2番目に大きく高さのある島で15万人の人が住んでおり、県庁所在地のサンクリストバル島よりも、商業などの中心となっている。島に着き、プライベート車に乗り換えて、北南に一本にまっすぐ続くCamino Balta(バルタ道)を走り、ゾウガメの保護区へ向かう。
エドウィンさんはキト出身だが、かれこれ25年ガラパゴスに住み、ガイドの仕事をしながら、島の様々な問題解決するための協会を設置したりしている。現在は、サメの密漁の撲滅、現地の水質の改善、ガイド育成のために外国人講師を島へ呼んだりしているそうだ。
またこの辺り一帯は、2007年より日本のガラパゴス自然保護基金団体が環境を整えるための植林プロジェクトを行っている。その他にも、日本政府はエクアドル全土に渡り、草の根無償資金協力を行っており、ここガラパゴスではソーラーパネルの建設が進められている最中である。
昼食を取った後は、El Mirador de los Tuneles(溶岩トンネル)へ移動した。地面をえぐるようにしてできた大きな穴は、火山が噴火した際、マグマの通り道になった場所で、溶岩の跡がしっかりと壁に残っている。中はひんやりとしていて温度も低い。赤道圏のガラパゴスに住むペンギン達が生きていくことができるのはこの溶岩でできたトンネルがあるからなのだそうだ。
ツアーの最後は、チャールズ・ダーウィン研究所を訪ねた。ここは保全のための科学的研究や環境教育を行う生物学的研究所で、ゾウガメの繁殖や、以前ペットして飼われて再び島へ戻されたゾウガメ達が生態系を崩さないようにオス・メスに分けて飼育されている。
長年の調査の結果、オスは28℃で、メスは29.5℃の温度で孵化することも判明している。
昔イギリス人の海賊や捕鯨船が島へやって来た際、ゾウガメ達は少量の餌でも生き延びるという理由から、食料やランプの油として大量に連れ去られて行った。
ここには、フデンセス種のディエゴというゾウガメがいる。絶滅危惧種で同じ種のカメがいなかった為、子孫繁栄が難しいとされていたが、サンディエゴ動物園でディエゴが見つかり、種馬としてのちにたくさんの子孫を残している救世主のカメである。私が訪ねた時は、まさに交配の真っ最中で顔を拝見することはできなかった。
この島だけではないであろうが、1匹の小さな小鳥、一本のサボテンが、この島の全ての生命と深い関わりを持っている。例えば、白と黄色の花を付ける樹以外は外来種で、白と黄色の色は虫や生き物を寄せ付けるためであったりする。普段何気なく見過ごしている風景の中にも、きっと思いも寄らない何かの一部が存在し、気づかない間にたくさんの偶然を生み出しているのだろうと感じた。
今日から滞在するホテル、Sol Y Mal(ソル・イ・マル)に到着すると、海の目の前にあるプールサイドで妊婦のアシカが昼寝をしながら出迎えてくれた。部屋からの見晴らしも抜群である。明日からは周囲の島巡りが始まる。
ガラパゴスの旅はSURTREKさんのサポートを頂いております。