モンテ・クリスティーの丘


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 早朝、近所から聞こえる爆音のサルサで目が覚めた。目ぼけていたので、自分がキューバにいるかのような感覚に陥った。色んな所を移動するせいか、ごく稀に寝起きは自分がどこの国にいるのか分からなくなることもある。
朝、家のお手伝いさんのベッジャさんに挨拶をして、家族で朝食を取り、モンテクリスティーへ出かけた。お母さんのリビアさんは、下着姿で私の部屋に入ってきたり、ウロウロしたりして朝からなんだか楽しそうである。

 現在私が滞在しているマナビ県は、乾期に雨が降らない日が続き大地が乾くことから、先住民のカンセリーエス語で“水のない場所”(
Sin Agua)という意味を持つ。モンテクリスティーの丘の上には、エクアドル史で最も有名な人物と言っても良い、ホセ・エロイ・アルファロ・デルガードの博物館とお墓がある。黄緑色の低い丘が周囲にいくつもあり、そのほとんどが昔の先住民たちにとっての崇拝対象であり、たくさんの儀式が行われていた。






 故チャベス大統領の旗がはためく、Centro Civico Ciudad Alfaro(アルファロ市民センター)は、エロイ・アルファロの歴史や遺品が展示されており、係の人が細やかに説明をしてくれる。
モンテクリスティーで生まれた彼は、自由主義革命で指揮を取り、鉄道を敷き、無償の教育制度を設置し、女性に選挙権を与えた。また、
2度に渡ってエクアドルの大統領を務めた人物でもある。博物館の前には、列車の車両が展示してある。



           エロイ・アルファロのお墓


 彼の一つの作品とも言える立派なお墓には、彼の生まれた625日にちなんで、メンテーニャ族の集会で使われるイスが25個並べてあり、それに沿うようにして、彼が亡くなった1912128日にちなんで、28個のライトが埋め込んである。天井近くにはコロンビアの作家、Jose Maria Vargas Vila(ホセ・マリア・バルガス・ビラ)の言葉が刻まれている。
Nada podra contra su memoria que se alza del fondo de la tumba como la lleva de las entrañas de un volcan colerica hacia el cielo.”(彼の魂が天に向かって噴火する火山ように、地の奥から墓を突き上げない限り、彼の歴史は覆されないだろう)
エロイ・アルファが亡くなった後に、“
Muerte del Condor”(コンドルの死)という彼についての作品を発表している。
彼の眠る丘からは素晴らしいマナビの海岸線が見渡せる。日が完全に登ると、日光が肌を射す。




 Santuario de la virgen de Monserrate
教会(モンセラテ教会)と広場を訪れ、パナマハットの店が並ぶ買い物街を歩いた。毎年921日には、たくさんの参拝者が訪れ、マリア様の体にお金を付けていく。そのお金は町の学校や施設を建てるために使われているため、町の人達はマリア様がこの町を作っていると、尊敬の眼差しを向け、深い信仰心を抱いているのだ。



            お父さんのルーチョさんと


 お父さんのルーチョさんは、毎日違ったパナマハットを被っているが、それでもまだ足りないようで、店の主人と値段の交渉をしている。ココナッツを飲んで帰路に着いた。





 午後は、美容院で髪をカットし、マナビ県の新聞の取材を受けた。夕方には滝がそのまま流れるような豪雨になり、見ているだけでもスッキリした。遅めの夕食は、グアヤキリから戻って来ている娘のマリアさんや、親戚が集まり賑やかな時間を過ごした。



                   家族大集合




★El plato de hoy 今日のご飯★



セビーチェ ペルーのと違って調理してあります。プラタノチップスを粉々にしてかけて食べます。エクアドル定番の朝ご飯です。

ERIKO