バス停前


3/11

 週末は風邪と疲れで寝込んだ。コトパクシの代償は大きい。
日曜日にはエクアドルの友人と赤道記念碑を訪ねる予定だったが、突然都合が悪くなりキャンセルとなった。一人で出かけようとマンションのドアを開けると雷が鳴り出したのでなんとなく行くのを辞めた。
結果、今日であって大正解なことがたくさん起ったのだった。

 キトから約
1時間くらいだという情報だけ入手してタクシーに乗り込む。“La mitad del mundo”(世界の真ん中)行きのバス停で降ろしてもらい、地元の人達に紛れバスに乗り高速道路をひた走る。斜めになった座席がツルツル滑って両足を踏ん張らないと落っこちそうになる。
世界の真ん中まではキトから約
1時間、金額は40円程度だった。
いつものことだがガイドブックもないも持たずに観光するので、何もかもが新鮮である。ただその場所の歴史や情報はどこかで入手しなければならない。




                 展望台から


 “エクアドル”とは“赤道”という意味のスペイン語である。その名の通りこの国には赤道が通っており、立派な赤道記念碑が立っている。
赤道とは緯度0度とする天体の自転軸の重心を通り、自転軸に垂直な平面が天体表面を切断する理論上の線が引かれている場所のことで、釘の上に卵が立ったり、体重が減ったりと面白い現象が起る場所でもある。
赤道記念碑がある場所から
80m離れた場所にはGPSで緯度0度となる場所がある。





              北半球と南半球をまたぐ



『すみません、写真撮ってもらえますか?』
アメリカ人団体をガイドしていた男性に声をかけると、私のスペイン語に少々驚いた様子で写真を撮ってくれた。なんだか面白い感じのする人だなと話を続けていると、彼は頼んでもいないのに場所の説明を始めた。
『あの、私お金ないので支払えませんよ』
『気にしないで下さい』



       説明をしてくれたパトリシオさん


 パトリシオさんと名乗るガイドは、赤道の歴史や、さらにはエクアドルの色々な場所の話もしてくれる。
赤道直下のこの場所には“中心のエネルギー”と呼ばれる特殊なエネルギーが通っており、インカ帝国時代には、クスコののちのタワンティンスーショの北部の首都になった場所でもあり、最も聖なる場所と呼ばれた場所なのだそうだ。またボリビア・ペルー同様に、ケチュア・アイマラ族のパチャママ(大地の神)信仰があった場所であり、小さな広場には春夏秋冬の農作物の種まきや収穫の時期とその都度行われていた行事の説明が書いてある。

 パトリシオさんは私の左の掌を見せて下さいといい、こう話した。
『あなたの魂はとても熟年しています。きっと、言語、文化、様々な環境や美しさを理解するのに長けているでしょう。あまり努力しなくてもすぐに理解できるはずです』
私はこのとき、なぜ昨日ではなく今日ここへ来たのかが理解した。

 パトリシオさんがガイドする団体が昼食を取っているレストランへ入り、彼と食事をとりながら話をした。
彼はお医者さんでもあり、インド聖典の勉強を何年もしているようだった。世界一太陽の日射量の多い場所のテラスでエネルギーの強い人間と話をしている。ふと、目の前のイスに見事なまでに真っ白な鳩が止まり、私の目を黙視して飛去っていった。美しい出来事は連鎖的に起る。
La vida es la secuencia del momento』(人生は連なった時間のこと)パトリシオさんは白い鳩を目で追いながらそう言った。

 集合時間が来ると、彼はお化けのように静かに消えて行って、すぐに見当らなくなった。私のメモ用紙にはマントラがぎっしり書いてあった。私は彼がメモに書き込みをしていたことすら気がつかなかったのである。

 公園内にある資料館や博物館を見て回り、帰りのバスに乗る。来た時と似たようなバスにひょんと乗ってしまうと、見たこともないバスターミナルに到着してしまった。
そのままキト市内行きであろうメトロバスに乗り込んだ。どこ行きかも分からないままぎゅうぎゅうの車内で目の前に座っていた男性に席を譲ってもらったついでに、家までの帰り方を聞いた。
『僕のオフィスも近くだから案内してあげるよ』と、バスを降りてからタクシーに乗るまで親切に誘導してくれた。
お陰で行きよりも効率的に安く、楽しく家にたどり着いた。マウリシオさんは『いつかこんなエクアドル人がいたことを思い出してね!』とオフィスへ走って行った。

 世界にはたくさんの特別で素晴らしい場所がある。場所の素晴らしさというのは、いつでも人との出会いによって作り出されるのだ。



   バスから家の近くまで案内してくれたマウリシオさん


ERIKO