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カルメンさんとスペイン人のマリアさんは早朝から仕事に出かけ、私が起きた頃にはお手伝いさんがキッチンの掃除に取りかかっていた。
キトの標高は2,800m、富士山の7合目当たりに位置している。標高が高い場所では大体短い時間で目が覚めてしまうのだが、ここではぐっすりよく眠れている。
タクシーで町全体が世界遺産に登録されているキト旧市街へ向かう。平日のためか渋滞にはまってしまったが、メーターの付いていないタクシーは料金を気にしなくていいので安心である。30分以上乗っていたのに料金も3ドル(270円)と安い。
旧市街は中南米ではよく見ることのできるコロニアルな街並だが、少し違うのは広範囲に渡ってスペイン植民地時代の街並がほぼ完全に残っていることだ。坂の多い石畳の道は四方八方に教会の頭が見える。
キトで一番の高さを誇る、ネオゴシック調のバシリカ教会は遠くからでもその大きさを感じることができる。町を行く人達は心なしかゆったりしていて、道を尋ねると誰もが親切に答えてくれる。
フラフラ歩いていると、旧市街の中心にあるPlaza Grande(独立広場)に着いた。ここには大統領府、大統領官邸、カテドラル、キト市役所があり、広場の真ん中には1830年に植民地からの独立を記念した像が建っている。1993年11月11日にこの場所をご訪問された常陸宮殿下は、諸外国からの要人の慣例に従って、この記念碑に献花を行っている。
守り神はイグアナやカメなど、ヨーロッパでは見ることのできない独特な作りをしている。
中へ入ると、刈り上げ頭の迷彩服を着た軍人達が警察の演奏する行進に合わせて歩みを進めていた。教会内はアベ・マリアの聖歌が響き渡り教会の美しさをより一層強調させた。
郵便局へ寄ったり、携帯のチップを購入したり、所用を済ませながら町を歩く。どの建物も歴史が詰まっていて、ゆっくり見て回ったら1日じゃ収まらなさそうである。
サンフランシスコ修道院の前は、四角い広場になっていて、寺院の入り口の階段が湾曲している。この寺院は南米最古で、スペインのエル・エスコリアル宮殿を設計したエレーラによるものである。この寺院が完成した1533年頃から、キトは黄金郷エメラルドを求めるスペイン人達の重要な拠点となった。渋滞を考慮して早めに旧市街を出て大使館を訪問した。
現在、在エクアドル大使館は日本文化普及活動に力を入れており、今月から現地の方向けに映画上映を行っている。明後日からは工業地であるグアヤキルで、日本文化週間が行われる。
エクアドルと日本の友好関係は95年にもなり、2018年の100周年に向けた記念事業にも取りかかっているそうだ。
旅の出発前、駐日エクアドル共和国レオナルド・カリオン・エギグレン大使から、野口英世の本を頂いた。そのとき初めて野口英世がエクアドルで黄熱の研究をし、たくさんのエクアドル人を助けたのだと知った。日本とエクアドルの友好関係が始まったのもちょうどその頃からである。毎度、南米諸国と日本との友好関係の深さには驚かされる。
明日からはキトから200km離れた農園を訪ねる。
ちなみに渡邉さんは外務省シガーカルチャークラブの会長さんでもある。
ERIKO
ERIKO