ユミコさんの姉妹たち 中央私の右がユミコさん


『えりちゃん、私の姉妹がえりちゃんに会いたいって』
今日はブラジル最後の日である。
ユミコさんの姉妹に会うため、サンパウロから車で1時間ほどの郊外へやって来た。
レストランに着くと、ユミコさんの姉妹と親戚、総勢8人が集まっていた。食事をした後、ユミコさんのお姉さんの一人が持つ別荘へ案内してもらい、作ってくれたケーキを食べながら話をした。
ブラジルに移民していた当時の話や、彼らの生活の話で盛り上がり楽しい時間であったが、同時にユミコさんとのお別れの時間が近づいていた。
お父さんのタダシさんは2日前にロンドリーナという町にテニスの大会へ出かけていて、ユミコさんだけ家に残っていた。

 この旅で一番長くお世話になった末永家。ユミコさんとは誕生日が近いせいか、気もよく合い、一緒に洗濯したり、勉強したり、買い物に行ったり、生活の中で色んなことを共有した。その分、別れは本当に辛い。
部屋の荷物を片付けていると涙がボロボロとこぼれて手が止まる。
『えりちゃん、ブラジル好きになった?ポルトガル語せっかく覚えたのにね、また明日からスペイン語だね。今度はお父さんとお母さん連れてきたらいいね』
出発は明日だが、今晩は空港の近くに住む友達の家に泊まることになっている。
いつものように送り出そうとしてくれるユミコさん。
初めてこの家に来たときから、明るく出迎え、出かける度に明るく送り出してくれた。
ユミコさんの見送りがこれで最後だと思うと、沸き上がってくる感情をどうしたらいいのか分からなかった。
ここで学んだことを、誰かのために役立てたいと思う。
ブラジルのお父さん、お母さん、ありがとう。



最後にユミコさんが作ってくれた大山おこわ



 1ヶ月と3週間。この旅で一番長い滞在だったブラジルを去ろうとしている。
振り返ってみると、私のブラジルへの旅は、アルゼンチンでビザを取得しようとした時から始まっていた。
クリチバで入国スタンプを押されたとき、以外にも地味な柄で少々ガッカリしたのが懐かしい。
ブラジルは想像していたよりも色んな意味でずっとパワフルだった。
南米はおろか、私がこれまで旅をしてきた国の中で、これほど多くの人種が混ざりあっている国は、ここ以外思い当たらない。
現地の人と間違われるのは日常茶飯事で、道を聞かれたり、世間話をされたりすることもよくあった。
様々な文化がぶつかり合うせいか、人々にトゲはなく、人種差別も存在しない。

 今となってはブラジルも多様性を意識してグローバルに適応していこうという政策がなされているが、Getulio Vergas(ジェトゥリオ・ベルガス)大統領時代には、ブラジル人と解け合わない日系人に対して、『硫黄は何とも混ざらない』と、“移民2%まで”という法律が可決しかけた時期もあった。
大都市のサンパウロ以外の町に住む、年齢層の高い日系人は未だに、ブラジル人とは完全には解け合えないとはっきり言う人もいる。

 私が滞在した州は、パラマ、サンパウロ、バイーヤの3カ所で、どこも移民が多いことには変わりはないのだが、パラマはヨーロッパ・スラブ系、バイーヤはアフリカ系、サンパウロは何でもありと、それぞれに食べ物や習慣には大きな違いがあった。
しかし面白いことに、他の国で感じたような、まるで他の国に来たというような気持ちは一度も起らなかった。色んな違いはあってもブラジルであることは変わりない。場所は違えど共通した何かが存在しているような気がする。

 南米他国と圧倒的な違いを感じたのは、喫煙率の低さと野良犬が少ないことである。どちらに対しても厳しい法律が定められているせいか、タバコを吸っている人も、道路をふらふら歩いている犬もほとんど見ることはなかった。またブラジルはギャンブルも法律で禁止されている。

 スラム街の数の多さを目の当たりにする度、この国が豊かな側面を持つ一方で、現状とのギャップへの疑問はなかなか埋められないものだった。
最近は、国が支給する新たな住居地を求めて、週1回ほどのペースでスラム街での火事が起っている。
彼らは何を求めて住まいに火をつけるのだろうか。

 サンパウロには世界で一番大きな日系社会が存在する。
東北地方太平洋沖地震が起った時には、ブラジルにある各県人会が6億円の寄付を日本へ送った。
今月末には、遠い地から思いを巡らせるより、被災地へ行って気持ちを知ろうということで、東北ツアーも組まれている。

 現在のブラジルはさらなるグローバル化を図っている。2014年までに101千人を留学生を世界各地に送り出すというジルマ大統領の宣言は、これからのブラジルが目指す理想の国づくりへの大きな決断の一つであるだろう。

 私が滞在中に出会った、文化、人種、習慣、様々なことが一緒に存在するブラジルという国に住む人達は、少々うまくいかないことがあっても、思い通りにいかなくても、“すでにあるもの”に感謝するのが得意な人達であった。

 旅を続けていく中で思うようになったことがある。
自分が出会った一人一人の人にどれだけのことを残すことができるか。
そして、出会った人からどれだけの学びを持っていくことができるか。
一人一人との出会いの価値は、自らの受け取り方、感じ方によって多様にも変化する。でも、ありふれた出会いなんて一つもない。
一つの国を出る度に、眠っていた意識が眩しい光を浴びながら目覚めていくような気がする。


    森林保護区から見たサンパウロの景色

ERIKO