ユバ農場の副会長矢崎さん

9/13

アリアンサ2日目

 昨日は夜9時にはすっかり眠ってしまった。7時に朝食を取り、荷造りを少しして、ユバ農場へ出かけた。朝は気温が涼しく風が冷たくて気持ちがいい。

 ユバ農場は日本のテレビで何度も紹介されているので知っている方は多いかと思う。
実は私はブラジルに来るまで一度も聞いたことがなかった。
ユバ農場ができたきっかけは、弓場勇氏が19才の時、一家10人を連れてブラジルへやって来たとき、
『このブラジルに、日本人の特徴を生かした新しい文化を想像しよう』と、この農場を作ったことがきっかけである。
現在は観光客を含めた57人の日系、日本人が暮らしている。
ユバ農場には給料がない。食料から食器に至るまでほぼ手作りで行っている。
共同体として生きていくことをモットーに生活を営んでいるのだ。



               ユバ農場の食堂

 副会長の矢崎さんに敷地内を案内してもらった。
だだっ広い農場、洗濯場や調理場、バレエ劇場や楽器を作る工房まで、小屋の扉が開かれる度にビックリするようなものがたくさん置いてあった。
第1~3アリアンサの村人達とは、イベントなどがあると招待し合い交流を図っている。農場の雰囲気は日本そっくりな不思議な場所だった。



         "トミカ・アレ”小学校

 アリアンサ村の中心へ戻り、広場の教会のすぐ側にある、Tomica Ale小学校を訪ねた。ブラジル人の生徒がほとんどで、建物の中に入ったとたん生徒達が抱きついて歓迎してくれた。
クラスは全部で4クラス。近くに幼稚園がないため、3歳から通えるようになっている。
生徒の中には、鳥取日本語学校に通う子供達も何人かいた。
小さくてシンプルな学校だったが、先生達の人数は多い印象を受けた。

 南米の子供達はどこへ行っても笑顔で大きな声で挨拶ができる。
どんなに難しい算数の問題が解けるより、はるかに素晴らしいことだと私は思う。
そして彼らと接する度に、『人に会ったら自分から先に笑顔でいるか?』を考えさせられる。


             鳥取県日本語学校


 午後は楽しみにしていた“鳥取日本学校”を訪問した。
ここで日本語を教える日本語教師は、鳥取県から派遣された県の教員で、現在今年の春から着任した、藤山
先生が担当している。
元鳥取県知事の西尾
邑次氏が、鳥取村の人達の『村に先生を派遣して欲しい』という思いを実現させたことから始まり、先生で10代目となる。
村の人達からも、『美人先生が来てから子供が学校に行きたいと言い出した』などと評判が良い。

 私は
先生と同じ家に泊まらせてもらったのだが、話をする時はいつも生徒の話題で持ち切りだった。
『見て!この子本当に歌が上手で、聞いて下さい!』と言って、生徒が歌うビデオを見せてくれたりした。
本当に生徒達のことが好きなんだなと感じた。家に帰っても授業の準備に余念がない。教科書にポルトガル語を書き込みながら遅くまで作業をしている。彼女の授業はとても愛情がこもっていて、教室全体が温かかった。

 ブラジル鳥取県人会は今年で創立60周年を迎える。
その記念事業として、『サンパウロ・鳥取友好の森 植樹プロジェクト』と実施しようとしている。
当時ブラジルには、マタ・アトランチカ(ブラジル大西洋海岸林)が全土の15%を占めていた。それが現在1.2%へ減少してしまい、かつて日系人が斧を振るって拓いた大密林もその一部であった。
このプロジェクトは、マタ・アトランチカの代表樹60品種を約200本植樹しようというものである。
日本にいたら遠く離れたブラジルの地でこんな活動をしているなんて分からなかったかもしれない。



                鶏を捌く村の人達



 日本語学校の隣にある自治会会館では村の人達が集まり、シュラスコやお菓子を食べながらの歓迎会を開いてくれた。
会長の佐藤さんは、
『ブラジル・アリアンサの鳥取村の人達は、鳥取への思いをいつも持っています。ここへ来てくれる日本人もたくさんいますが、日本へ帰ると忘れてしまうのでしょうか、繋がりがすぐ途絶えてしまうように感じます。私たちの夢は、アリアンサの子供達を鳥取県へ連れて行くことです。どうか、いつまでもこのように鳥取のことを思う人達が遠く離れた地にいることを忘れないで下さい』
と、日本語で書いた文章の紙をゆっくりと読み上げた。不揃いの漢字とひらがなから、時間をかけて一生懸命書いたのがすぐに伝わった。

 サンパウロへ帰るため、たった2日前に来たバス停に着いた。なんだかここに一週間位いたような気がする。バス停が随分前に見た風景に思える。
駅のトイレに入ると、ここで生活しているのだろうか、2人のブラジル人が小さな洗面台で髪を洗い、子供のおしめを取り替えていた。その横には食べかけのご飯が置いてあった。

 お世話になった細田さんは本当に親切だった。
『えりちゃん、またアリアンサに来てね』
彼らと別れるとき、楽しかった思い出が一気に溢れ出ていた。
バスの中から手を振る彼らの姿は、滲んで見えた。
遠いかの地で鳥取のことを、日本のことを温かく思う人達がいることを知ることができて本当に良かったと思う。

 



● 『サンパウロ・鳥取友好の森』植樹プロジェクトご協力への詳しいご案内は、guenji@yamazoe.com.br 担当:代表 山添源二まで

 

●アリアンサの訪問の様子をFacebookに載せています、是非ご覧下さい。


ERIKO