そろそろ冬服の限界が来ている。今日は日中36℃まで気温が上がり、春を通り越して夏のような気候だ。
ホテルのチャックアウトをしていると、今日町を案内してくれるエドウィンさんが迎えにきてくれた。
エドウィンさんは、トヨタ、日立、ソニーなどの大手の日本企業相手に仕事をしている日系人で、ブラジル日本文化福祉協会のディレクターでもある。耳が慣れてきたのか、勉強のせいなのか分からないが、最近ポルトガル語で言っていることがほぼ分かるようになってきている。
エドウィンさんは14才の時に母親を亡くし、大学費用を稼ぐために日本へ出稼ぎに出た経験を持っている。
出稼ぎに出る人の大半は、家や車を買うためであることが多いが、彼のように自分の教育のために働きに出るということはごく稀である。
心なしか話をしていると温かい人柄が伝わってくる。
エドウィンさんは歴史にもとても詳しく、サンパウロやブラジルについて、そして移民の歴史について話してくれた。

 ちょうどお昼時だったので、シュラスコレストランで食事をした。
サラダやお寿司が食べ放題で、ひっきりなしに様々な部位の肉がウェイターと一緒に回ってくる。生まれて初めて食べるシュラスコが本場ブラジルなのは嬉しい。



           ブラジルの有名選手の写真





 満腹になったあとは、最近できたばかりのサッカー博物館へ向かう。
ブラジルのサッカーに関する歴史について、スクリーンや音響を使って体感できるような作りになっている。

 昨日日本食レストランで起った出来事を思い出した。
テーブルを担当していたブラジル人のウェイターにこんなことを聞かれた。ウェイター『マラドーナとペレはどっちが好き?』
E 『うーん、マラドーナ?』
ウェイター『じゃ、ネイマールとメッシは?』
E『メッシ!』
ウェイター『後で皿洗って帰りなさい!』
1日目でサンパウロから追放されてしまうような勢いだった。
市民の生活とサッカーとの距離はアルゼンチン並みである。





 昨日97日はブラジルの独立記念日だった。ブラジルがポルトガルから独立したのは1822年。
ドン・ペドロが独立を宣言した場所は記念碑が立つ広場になっており、広場に相対して建つ元ポルトガル貴族の屋敷は“パウリスタ博物館”になっている。
入り口から右と左に別れていく赤絨毯の階段があり、その所々にブラジルに流れるたくさんの種類の川の水が入った球体が装飾の一部をなしていた。
ベルサイユ宮殿のようなネオ・クラシック調の様式はイタリア人の建築家によって設計されたものである。

 今日からお世話になる家族は末永さんという日系人のお宅である。
ちなみに末永さんは、鳥取県県人会の副会長をされている方で、サンパウロへ来る鳥取県民は、ほとんど末永さんのお宅でお世話になっているそうだ。

 家のベルを押すと、『えりちゃん??』とお母さんのユミコさんが明るい笑顔で飛び出してきた。
ユミコさんは日本語とスペイン語が話せるが、なるべくポルトガル語で話してもらうことにした。
“鳥取県”という共通項があることで、共通の知り合いの話などに花が咲いた。今後も貴重な話が聞けそうで楽しみである。

ERIKO