予定していたウルグアイ滞在先での予想外のハプニングに見舞われたが、なんとか無事にアルゼンチンでの滞在を終えようとしている。
旅が始まって4ヶ月。人生で最も長い期間、日本を離れている。

 この旅のきっかけとなったアルゼンチンという国は、3年後に訪れた今日、高層ビルの開発が進み、町はますますの発展を遂げているように見えた。
しかし、実際の人々の生活は以前より快適でなくなってきている。
日に日に上がっていく物価、4ヶ月前からはドルなどの外貨が購入できなくなっていた。アルゼンチン人と話す時、政治の話題に触れることなく、生活や人生について語ることは不可能であるくらい、常に彼らの生活は、政治とともにある。
かつて、世界で3番目に裕福だったこの国は、汚職によって経済危機を迎え、治安が悪化し、人々は職を失った。
2001年の大きな経済危機では、一週間に5人も大統領が変わるほど、一時期は崩壊寸前だった。
近年、どん底の状態からは回復しているものの、今後も安定という状態へはほど遠いであろう。
金銭的な個人の生活環境は厳しいものの、人々は明るく、人生を満喫している。
彼らがすすんで自ら“幸せ”であると口にするのは、やはり人と人とが助け合い、密接に暮らしているからだろう。
お金を生み出すための時間を、人と交流することに使う人達にとって、お金というものの価値は少ないように感じる。
物だけでは心は満たされないと多くの人達が感じているように思う。
そんな彼らには、いつも人のために自分を捧げる心の余裕がある。

 アルゼンチンはたくさんの異なった人種が住む、移民からなる国である。
日本からも戦後多くの移民者が海を渡り、この地に住んでいる。
様々な文化と習慣がぶつかり合い、重なりあって、何とも似つかない、アルゼンチンという独自の文化が形成されている。
日本とアルゼンチンの関係は、移民者が渡っただけでなく、1923年に起った関東大震災や、第二次世界大戦後の日本が貧しい時など、積極的に物資援助などを行ってくれていた国でもある。
今の日本がこうして大きな発展を遂げることが出来たのも、海外で日本のことを思う日系人や、遠い国の助けによるものである。
一次移民で渡った日系人の方と話をしていると、忘れられそうになっている大切なことをたくさん学ぶ。
3年前の私は、“日系”という言葉さえよく分かっていなかったが、今回のように自分の着眼点を変えた旅をしていると、見えてくるものがまるで違う。

 たくさんの人の生き方を見て、そこへ自分を飛び込ませることで、学び、感動し、感謝が生まれる。
それが例え物質的な何かを生み出さなくても、私は心から自分らしくいられることができる。
5カ国目のウルグアイへ向けて、また一歩を踏み出す。

 

※ 今回のミッションであった、ドロンズ大島さんがお世話になったブエノスアイレスのタンゴ酒場は、とうとう見つかりませんでした。ミッション果たせずごめんなさい・・・

ERIKO