
7/24
7時起床。ホテルの窓から外を見ると、昨日真っ暗で見えなかった景色が薄らと見えた。山に囲まれた海。林が多い山々は白い雪が所々に見える。
Faro les Eclaireurs
船内はレストランのようになっており、家族連れの観光客が目立った。
アザラシやオットセイが生息する島などを周り、世界の一番南にある灯台“Faro les Eclaireurs”に到着した。
船の甲板に出ると、強い風が吹き荒れ、手すりに捕まっていないと飛ばされてしまいそうなほどだった。
2時間半のクルーズを終えた後、電話で“Radio FM 1023 El independiente del Sur”の“Las cosas como son”という番組に出演した。
インターネットで日本の番組に出演することはあるが、電話では初めてのことだった。
リオ・ガシェゴスでお世話になったウーゴさんが、セッティングしてくれたのである。
質問は“日本はどんな所か?”、“ラテンアメリカは日本の女性にどう映って見えるか?”、“プロジェクトの詳しい内容は?”と言ったざっくりとしたものだった。
監獄内
ラジオが終わった後、世界の果ての監獄“Carcer de Uchuaia Presidio Militar”を見学しに行った。
この監獄は、当時アルゼンチン国内で重い犯罪を犯した人が入れられた過酷な場所であった。
南極に近いこの場所に身を置くことは今の昔も簡単なことではない。
政府は近年、人口が減ってしまわないよう、ウスアイアに籍を置く会社に対しての税金を免除している。厳しい気候のパタゴニア地方で働く人達の給料も、生活手当が付いている。
監獄内は、収容所の博物館、Tierra del fuegoの歴史博物館、南極博物館があり、当時のままのリアルな収容所もあった。
薄暗い監獄を出ると、太陽の光が差し込み、背後に雲で隠れていた立派なMonte Olivia(オリビア山)が見えた。周囲の丸みを帯びた山々と違い、誰も寄せ付けないかのように角張った形をしている。
道を教えてくれたおじさん
しばらくバスに揺られたあと、運転手にホテルの近くの道はどこかと聞くと、『とっくに過ぎたよ』とあっさり言われ、次の停留所で降りた。
周囲は住宅しかなく、タクシーも通っていないので、ひとまず人を探すことにした。キンキンに凍った氷に足を取られながら、やっと停留所でバスを待つ、一人のおじさんを見つけた。
『すみません、今どこか分かりますか?』と地図を見せると、『ここだよ』と、地図上から外れた場所を指さした。
だいぶ遠くまで来てしまったなあ。と、思いながら、おじさんは丁寧に帰り方の説明を始めた。
やがて、説明の途中でおじさんが待っていたバスが来た。
私が『行って下さい』と言うと、『いいんだよ、また次のに乗れば良いんだから』と、何のためらいもなくバスを見送った。
ウスアイアのコレクティーボは30分に一本しか来ない。
お礼を言って歩き出したあと、これからまた寒い中、おじさんが30分待つことを考えた。
少し歩いて後ろを振り返ると、小さくなったおじさんが手を振った。
私はまたツルツルと足を滑らせながら、ホテルの方へまっすぐ歩いた。
そういえば3年前にアルゼンチンのバス停で、同じようなことがあった。
コインがなくて乗車出来ず困っていた私に、子供を3人連れた一人の貧しそうな女性が、笑顔でお金をくれたのである。
私が人生で初めて自分の心の貧しさに気づいた瞬間であった。
アルゼンチンだけではなく、見知らぬ人のために、見返りなくとても親切にしてくれる人はラテンの国に非常に多い。
その度に、私は何が本当に大切なものなのかを気づかされるのである。
自分のことより、困っている私に親切にしてくれたおじさんに、良いことがありますようにと願いながら、無事ホテルに着いた。
たった一日だけの滞在だったが、世界の果ては訪れる価値のあるものだった。
ERIKO