左:在アルゼンチン日本国水上大使 右:書記官佐藤さん



 在アルゼンチン日本大使館を訪問したのち、水上大使と一等書記官の佐藤さんに美味しい日本食をごちそうになった。
大使は以前、インドでも仕事をされており、インドのビックリ話に花が咲いた。もちろん中南米に関する情報も大変丁寧に教えて下さった。




 夕方は、マウリシオの通っている
UMSA大学へ、セネガル人Bouba Car Traore(ボーバ・カウ・トラオレ)教授のマスター論文発表を聴講しに行った。
アルゼンチン国内で黒人を見かけることは極めて少ないが、この日はたくさんのアフリカ系の生徒達が聴講に集まっていた。
論文のお題は、“アフロアートの可視性と不可視性と歴史について”。
アルゼンチンにはアフリカからの奴隷を受け入れていた時代がある。
しかし、白人のヨーロッパ移民が築いた国だというイメージを壊さないために、教科書などにはその時に起った歴史は書かれていない。
ボーバはそこに着眼点を置き、歴史を掘り起こし、アフロアートに起った変化と合わせて論文を発表したのだった。
論文を審査するドクター達は、ボーバの熱弁を冷ややかな目で見つめた。約
1時間半の発表の後の質問時間に、審査員達は批判的な感想を述べた。
アルゼンチンという国に起った事実が、書籍となり公に出るのを防ぐためでもあるのだろうと、周りの生徒がつぶやいた。
ボーバの頬には、涙が流れた跡が黒い肌に光っていた。
ほとんどの聴講者は素晴らしい論文発表であると拍手をしたが、ドクター達は納得していないようだった。
最終的には、弁護士を交えての討論となったが、ボーバの長い説得の末、論文は認められた。
私はボーバが、あくまで冷静に過去の事実とアートについて述べており、双方に起った歴史について、個人的な感情を介入していなかったことに共感を持った。

 ボーバはアフリカのセネガルという国に生まれた。
幼い頃から自国では自分の望む教育が受けられないことに不満を感じていた。ある日、彼の住む町でアルゼンチン人夫婦の旅行者と出会い、アルゼンチンではたくさんのことを学べることが出来ると知って、
25年ほど前に移住を決意した。
ある日の何気ない出会いが、彼の人生を変えたのである。
現在は
UMSA大学でアフリカンアートの教授を務めており、アルゼンチン人の奥さんと1人の娘さんがいる。
黒人比率が圧倒的に少ないこの国で、彼の人生はこれまでにもたくさんの苦労があったであろう。
以前、アルゼンチンにいた時に同じクラスだった、イギリス人の黒人アンギーが、道行く人達に指を指されていたことが脳裏に浮かんだ。
廊下で雑談をする彼の周りには、彼を慕うたくさんのアルゼンチン人生徒が取り巻いていた。

彼には、香しい匂いで周囲を心地よくしてしまう一輪の花のような温かさがあった。
何かを貫こうとする人生ドラマには、人の心を動かす力がある。
ブーバの生き様に触れることができたほんの少しの時間は、自分の歩みを見つめ直す良い機会を与えてくれた。

明日の夜中から、パタゴニアを再訪する。
   

ERIKO