ダニエルという青年について 彼のことを忘れないために書く

 この記事はブエノスアイレス州、25 de Mayoに住むダニエル・ヒウソという青年を忘れないために書く。
彼とはフアン・クルスのおじいちゃんの家の農場で出会った。
初めて彼と会った時、見た目と振る舞にずいぶんギャップがある印象を受けた。
彼の体は毎日の労働で鍛えた筋肉と幼い顔立ちで、実際の
23という年齢に相応しい外見をしている。
でもそれは見た目だけであって、彼の周囲に漂う雰囲気と語り口調からは、その年齢は微塵も感じられない。
少なくない若者が持つどこか自由で浮ついた様子もなく、社会の中でしっかりもまれたかのような規律のよさがあった。

 出会った次の日、私達のリクエストに応えて、彼は捌いたアルマジロを持って家を訪ねてくれた。
白いスーパーの袋に入ったアルマジロは、喉と内蔵がすっかり空っぽになり、背中の甲羅の毛もきれいになくなって、肌色がむき出しになっていた。お茶を飲み、少し団らんした後、ダニエルは車でアルマジロを見せてくれると言って、田舎へと続く草むらへと連れ出してくれた。
もうすっかり夜が訪れていて、街頭のない黒幕の夜空には、目線の先にある
1つの星から上に向かって乳白色の天の川が広がっていた。

 ダニエルは積極的に自分がこの村へたどり着いた経緯を話してくれた。
両親の離婚と同時期に小学校中退。働きに出るため家出て、いくつかの町を転々とした後、
25デ・マショに辿り着く。
アルゼンチンで小学校を出てない子供は珍しくはないが、彼が道を横に逸れることなく、自分のやりたいことに向かってまっすぐ進んで生きてきたことは珍しいこととも言える。
彼の年代の村の若者の多くは仕事場と遊び場が提供される、大きな町へ出て行く。
彼はこの村で自分のやりたい家畜農場の仕事をしている。鶏や牛、羊を絞め、市場に送り出すことを日々繰り返している。
彼は村の人達の生活について話した。
『この小さな村では、至る所で噂話が繰り広げられている。例えばこうして野道を誰かと走っていると、次の日の朝には、“昨日あそこを通って何してたんだ”と聞かれる。誰もがしていることを誰もが口を揃えて嫌だと言うけど、僕は自分がどう村の人と向き合うかだと思う。僕がこの村を好きなことに変わりはない。』
続けて彼は仕事についてこう語った。
『農場も家畜もお金を稼ぐためだけにする人もいるけど、僕の場合は作物や動物、自然に愛情を持つことが自分自身を豊にしてくれている。』
彼の口調はあくまで落ち着いている。

 私が車を降りて星をみたいというと、小さな川の上にかかる橋へ車を走らせた。頭上に瞬く星達は、滑るように流れる水の上で更なる光を瞬いた。
『ここで僕のおじいちゃんは死んだんだ』言葉とは裏腹に、彼はおじいちゃんのことを思い出せるこの場所をとても大切にしているようだった。

 この夜アルマジロは一匹も私たちの前に姿を見せなかった。
こんなことは初めてだと彼は言った。
最後の別れ際、彼に大切にしていることを尋ねた。
すると彼はまっすぐこう言った。
『感謝することと謝ることに時間を使うこと。これらに使うたった少しの時間を、たくさんの人達は使おうとしない。でも僕は自分のほんの少しの時間をこのために使う』

 彼は車のドアを開け、私と家族を下ろし、荷台の付いた白い車で人気のない農場へ帰っていった。
私がこうして彼のことを書いている今日も、ダニエルはあの葦の草が生える池の側の農場で、動物たちと向き合っている。どんな場所にいようとも、私たちは確実に同じ時を過ごしている。時の流れの中で彼が消えてしまわないように、記録を残す。





ERIKO