
昨日日本語を教えたフアンくんの家族がアサード(焼き肉)に招待してくれた。アサードはアルゼンチンで一番と言っていいほど有名な料理で、簡単にいうとBBQである。
日本と同じくホルモンや、胃袋なども食べ、ここでは扁桃腺などの変わった部位も食べる。
肉の消費量は他の国より多いのに、太った人が少ないのは謎である。
彼の両親は学校の教師で、兄弟は4人。全員男の子である。一番下のホセは3才、パソコンのポケモンゲームに夢中だ。
お母さんのシチリアさんは現在2つの小学校を兼任、文学を教えており、お父さんのルイスさんは宗教学を教えている。
アルゼンチンでは、仕事を2つ3つ持つことは珍しいことではなく、私が知る限りでも大体平均して、1日12時間以上働いている人も少なくない。
給料は彼らの仕事で月300ドル(3万円弱)ほどだそうだ。
セシリアさんは勉強を教えたお礼とともに、
『息子が日本語を習いたいと言い出して、どうしていいか分からなかった時に、ギシェルモさん夫婦に会って、その1ヶ月後には日本人がこんな小さな村に来て、息子に勉強を教えてくれるなんて、なんだか全部仕組まれているみたいだわ』と話した。
彼らが何かを言ったわけでもなく、フアンくんがすべて自発的にやりたいと言い出し、分からない部分を質問されるが、答えることが出来ないので困っていたそうだ。
フアンは家の中では2人の弟の良いお兄ちゃんだった。
時折お母さんの手が弟達から離れると、すかさず膝の上を占領した。
食事が終わると家族全員でフォルクローレや、昔彼らが住んでいた、ネウケン州の歌を披露してくれた。
ここで、再びマプチェの人が使う、マプヌングンを聞くことになるとは思っても見なかった。
フアンくんはピアニカを自分の体と一体化させるように演奏をした。
ルイスさん曰く、彼は絶対音感を持っているらしい。
歌を歌っても、素晴らしい歌唱力だった。
私の故郷が知りたいと、鳥取県の写真集を見せると、
『18才になったら、日本語の勉強をしにエリコの育ったところへ行く』と言ってくれた。
彼は必ず来るだろう。なんの根拠もないが、はっきりとそう感じた。
フアン・クルスはとにかく瞳が美しい少年である。
瞳の奥に知性と温かさが見える。彼が生まれつき持っている美しい才能は、この自然豊かな村と人との関わり合いの中で、さらに育っていくことだろう。
帰り際、小さなブルーの箱に入った貝の化石をもらった。手に取って、今日の日の記憶が刻み込まれるように強く握りしめた。
ERIKO