アルゼンチン、ブエノスアイレス州のラ・プラタに住むウーゴさんへ、日本に住む安楽絵美さんから手紙を預かった。
彼女は現在青年海外協力協会(JOCA)に勤務しており、初めて出会ったのは“ミタイ基金”というパラグアイに学校を作る活動をしている団体のイベントで出会った。
好奇心が旺盛で積極的な絵美さんは、出会って間もない私に明るく話しかけてくれた。日本人には珍しいタイプの彼女のとこを私はすぐに好きになった。
絵美さんが手紙を渡して欲しい相手のウーゴさんは、パラグアイ人で、現在はアルゼンチンで働いている。
彼らが出会ったのは、パラグアイ。恵美さんの任地に日本米の種をウーゴさんが買いに来たことがきっかけである。
ウーゴさんは日本で農業の勉強をするために一年間留学した経験を持っている。
待ち合わせの大学正門前で落ち合った時、彼の身なりと仕草からすぐにサッカー少年だと分かった。
近くのレストランに入り、預かった手紙と絵美さんと撮った写真を渡すと、『本当にどうもありがとう』と、もともと笑顔の表情からさらに優しい表情へと変わった。
私は人が喜ぶこの瞬間がとても好きである。見えない相手との心が繋がるその瞬間の人の表情は本当に美しい。
絵美さんは彼の働き者で、一つのことに打ち込む姿を見て、以前持っていた“ラテン”の人のイメージが変わり、世の中のイメージだけで物事を見てはいけないのだと学んだと話してくれた。
文化の違いは、神様がたくさんの大切なことを学びやすいように作ったのかもしれない。
“違う”ということは、自分との間にたくさんの摩擦を起こし、学びや感動といったドラマを生む。
絵美さんにとっての大切な人への手紙を、私にとっても大切な旅の途中で渡すことが出来たのを嬉しく思う。
絵美さんへ
お預かりした手紙、無事お渡ししました。ウーゴさん、とても喜んでくれていました。
仕事終わりで疲れているのに、全くそんな表情も見せず、楽しい話をしてくれました。
ウーゴさんは、『日本という国を知るまで、パラグアイでだらしのない生活をしていた。日本での生活を通して働くこと、誠実であることの価値を体で学んだ』と話していました。
また日本へ行くことを考えているそうです。いつか三人で会える日がくるといいですね。
大切な手紙を届けさせてもらう仕事を頂いたことに感謝しています。ありがとうございました。
ラ・プラタでは、もう一通手紙を渡すミッションをもらっていた。
手紙の主はモデルのラウラである。ラウラとは1年ほどの前に、広告の仕事の撮影現場で出会った。それ以来、定期的に連絡を取ったり、会ったりしている。
今回私が旅に出ると聞いて、昔の友達へ手紙を渡して欲しいと預かった。
ラウラはパラグアイの日系人で、パラグアイ人の母親と、日本人の父親を持つハーフである。
幼児期をパラグアイで過ごし、家族の都合で日本へ引っ越ししてきた。
スペイン語はもう忘れてしまったと残念そうにするが、その明るくて前向きな生き方にはしっかりとラテンの血が引き継がれている。
彼女のいまの夢は、家族をパラグアイへ連れて行くことである。
働いて稼いだほぼすべてのお金を、夢を実現させるために貯めている。
ラテンアメリカの人達の家族の絆は強い。何があってもまず一番は家族。
ラウラと話をするときは、必ず最初に家族の話題が出てくる。
彼女はいつも自分のことより、家族みんなの生活を気にかけている。
そんな彼女の姿を見て、人は誰かのために何かをする時のほうが、力が出るものなんだと教えられた。
ラ・プラタから次に滞在する場所へ向かう日、ラウラから預かった封筒の表に書かれた住所へ向かった。
そこは町の中心にあり、賑やかな通りから一本奥に入った通りに位置していた。
近代的なマンションの部屋のベルを鳴らすと、しばらく静かな時間が流れた。その後も何度かベルを鳴らし続けたが、誰も出て来る様子はなく、管理人の女性に手紙を託け、『大切な手紙なので、必ず渡して下さい』と言い残し、マンションを離れた。
ラウへ
書いてあった住所に手紙を届けに行きましたが、残念ながら留守のようでした。管理人の女性は、ラウの友達をよく知っているようだったので、直接渡してもらうようにお願いしました。
今頃はそれが彼女の手に渡っていることと思います。
8月にはラウの故郷、パラグアイに入ります。ラウがいつも家族のために頑張っている姿は、私の励みになっています。
どうか、体には気を付けて、頑張りすぎないようにね。日本で会えるのを楽しみしています。手紙渡させてくれてありがとう。
追伸 写真は彼女が住んでいるマンションです。