ラ・プラタ家族のラウルさん夫婦

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 ラ・プラタで滞在している場所は、大学から近くのラウルさんというアルゼンチン人夫婦の家である。
セシリア教授が手配して下さった家庭で、普段からホームステイの受け入れをしている。外国人というより、人の受け入れにとても慣れている。
奥さんはとても話好きで明るく、お世話好きな人である。旦那さんは典型的なアルゼンチン人でいつもおもしろい冗談を言っている。





                  自然科学博物館


 今日の午前中は、アレックスに恐竜博物館を案内してもらった。
恐竜の骨はもちろんのこと、動物の剥製やペルーで栄えた文化のものも数多く展示してあった。
午後からはまた大学を訪ね、日系の久田先生の日本語授業に参加させてもらった。
中級のクラスで、授業は敬語と普通体の違いや、谷川俊太郎の“いきる”という詩を使って文法を学ぶという内容だった。
改めてスペイン語の解説を聞きながら詩を読み返すと、深い意味が凝縮されているのを感じた。
例えば、木漏れ日や産声をいう単語はスペイン語にはない。
それと同じように日本語にはない単語がスペイン語にある。母国語では辿り着けない表現の終着点が見えたとき、それは相手をより深く理解するためのツールとなる。
スペイン語と日本語の表現は全くと言っていいほど異なるため、その意味を理解するのには同時に文化や習慣の違いを理解する必要がある。
久田先生は、双方に共通する鍵となるような例を加えながら、文章の解説をし、さらには、生徒の興味をそそるような小ネタも加わった見事な授業を展開した。
夕方には大人の基礎クラスに授業に参加し、生徒との交流を計った。

 クラスが終わったあとは、先生や生徒達が食事に誘ってくれ、イタリア料理を食べに行った。
今回、日系社会のあるコローニャ・ウルキサという場所へ訪問する予定だったが、訪ね先に用事が出来てしまったのと、ウルキサまで行く道がいくつか封鎖されているという理由で訪問は実現しなかった。
アルゼンチンに住む日系人は、クリーニング店か花卉園芸を営んでいる人達が多い。
ラ・プラタはヨーロッパやアジアなど多くの移民の受け入れを行った場所でもある。現在は
300世帯の日系人が暮らしており、私の世代は3世にあたる。日本語を話せる人も減っていて、日系人がアルゼンチン人の先生に日本語を習う姿もよく見かけるという。
昔は同じ日本人同士としか結婚しない家族が多かったそうだが、今は変わって来ている。
教授のセシリアさんは日系三世で、何年か日本でスペイン語を教えていたそうだ。
もっと多くの日本人の生徒にアルゼンチンへ来てもらいたいと、様々な活動をしている。
今回、私が個人で行う旅のプロジェクトに共感し、体裁など関係なく、彼女のできる限りのことをして下さった。
彼女がいればきっと留学生達も安心して勉強できる環境に身を置くことが出来るだろう。
ここで日本語を学んでいる彼らが、日本という存在を心のどこかに持ち続け、いつか訪ねて来てくれることを願ってやまない。




    

          ラ・プラタ大学の生徒のみんなと先生達




生きる 谷川俊太郎

生きているということ

いま生きているということ

それはのどがかわくということ

木漏れ日がまぶしいということ

ふっと或るメロディーを思い出すということ

くしゃみをすること

あなたと手をつなぐこと

 

生きているということ

いま生きているということ

それはミニスカート

それはプラネタリウム

それはヨハン・シュトラウス

それはピカソ

それはアルプス

すべての美しいものに出会うこと

そして

かくされた悪を注意深くこばむこと

 

生きているということ

いま生きているということ

泣けるということ

笑えるということ

怒れるということ

自由ということ

 

生きているということ

いま生きているということ

いま遠くで犬が吠えるということ

いま地球が廻っているということ

いまどこかで産声があがるということ

いまどこかで兵士が傷つくということ

いまぶらんこがゆれているということ

いまいまがすぎてゆくこと

 

生きているということ

いま生きているということ

鳥ははばたくということ

海はとどろくということ

かたつむりははうということ

人は愛するということ

あなたの手のぬくみ

いのちということ