夜勤を終えて真夜中の3時頃帰って来たお父さんのウィルフレッドさんは、緊急呼び出しで休む間もなく、朝6時に家を飛び出して行った。
結局最後のお別れは電話を通して伝えることになった。
息子のアンドレイは昨晩、私が今日リマへ帰ることを聞いて、シクシク泣いていた。
朝、私が空港へ行くタクシーを待っている間も、学校に遅刻するギリギリまで、テレビを見る振りをしながら待っていてくれたが、とうとうタクシーが来るより先に、お母さんに連れて行かれてしまった。
6日間という少しの間しか一緒に過ごさなかったが、アンドレイは人の気持ちをよく察知する子だった。
小さなことでも何かをする度に“ありがとう”を決して忘れなかった。
お母さんに手を引かれて下を向きながらトボトボ歩く彼の後ろ姿を見ながら、やはり人がいるとことには温かいものやドラマが生まれると感じた。
またいつか成長したアンドレイに会いたい。
アレキパの空港からは、ミスティ山が間近に見えた。
リマまでは1時間半のフライト。乗客の4分の1は日本人観光客だった。
本を手荷物に預けたスーツケースの中に入れたままにしてしまい、しかたなくSTARPERU航空の機内誌をパラパラとめくっていると、ある言葉が目に留まった。
“YO LLORE PORQUE NO TENIA ZAPATOS HASTA QUE VI UM NIÑO QUE NO TENIA PIES”
—足のない人を見るまで、私は靴がないことを嘆いていましたー
私の好きなペルシャの諺である。いつか見たことのある言葉にまた出会った。
約1ヶ月のぶりのリマは相変わらずたくさんの車で混雑していた。
合流しようとする車にもまれて乗っていたタクシーのミラーが勢いよくバスにぶつかった。
運転手も私も今更驚かない。ミラーは半分ヒビが入った程度で取れてはいなかった。
家に着くとマリアさんが出て来た。風邪を引いて1週間寝込んでいたそうだ。
寝る間も惜しんで働くマリアさんが、1週間も休むとは余程のことだったのだろう。
今夜、キューバクラブへ踊りに誘われていて行こうか悩んでいたが、安静にしたほうが良いと話すと素直に断りの電話を入れていた。
分かっていても誰かの一押しが必要な時が誰にでもある。
学校が終わった双子のナオキとケイが帰ってくる。
マリア家は1ヶ月前と変わっていない。今日から月末までまたリマでの新たな生活が始まる。
ERIKO