低地に降りたからか、サンタクルスへ来てからかなりぐっすり寝ることができる。ラパスにいるときは毎朝8時前には自然と目が覚めていたが、ここ2日間9時過ぎまで寝ている。
昼間は家族全員仕事に出かけているので、家にはお手伝いさんと犬のスクイージーと私だけだ。昼ご飯になると一度みんな家へ戻って来て、食事をしてからまた仕事へ戻る。日中は家でずっと雑誌の原稿を書いていた。
夜はボリビアの日企業等の商工会議所の会頭でもある島袋さんと会った。
約束の時間を30分以上過ぎてもいっこうに来る気配がない。電話をかけると、家の周辺で迷いグルグル回ってしまっているという。家族に電話で道を誘導してもらいようやく会うことができた。
島袋さんは遅れたことよりも、先日車をぶつけしまい、オンボロの台車で申し訳ないと詫びた。シートベルトは差し込み口が壊れていてはまらなかった。
島袋さんの家族は、島袋さんが子供の頃移民として沖縄からボリビアへ移り住み、畳屋を営んでいた。今は島袋さん以外、全員日本に住んでいる。
彼の会社で働く田中さんという女性を拾い、3人でチンチャロンというボリビアン料理を食べに行った。
豚の皮に豚肉、ソーセージとジャガイモ、白いトウモロコシが盛り合わせになった料理だ。私たちはスペイン語と日本語をそれぞれが都合のいいように組み合わせて話をした。お店のテラスはラテンの音楽が大音量でかかっていた。
島袋さんの会社で働く田中さんはボリビア人で、日本人の旦那様と高校生の娘さんがいる。美人で華のある見た目からは想像しがたいが、大盛りの肉を次から次へと口に運んでいた。
島袋さんと田中さんは、日系人社会の日本語教育についてや、ボリビアの若者たち、またCamba(Santa Cruz {低地}に住む人)について話してくれた。
日系人の学校で使われている教科書の日本語が、普段私たちが使用する口語との違いがあることで、子供達にとってはSecond langrageとなる日本語が混乱してしまいやすいこと。
例えば昔話に出て来る
『むかし、むかし、おじいさんとおばあさんがおったそうな』
という表現。確かに末尾は普段の生活ではあまり使用しない表現であるが、日本語ではあることは間違いない。
またボリビアの学校教育では宗教色が薄れてきていて、学校によっては宗教的な会話を禁止しているところもあるそうだ。
島袋さんは、
『昔学校の宿題で、“神とはなにか?”をよく書かされてたけどね』
と懐かしそうに話していた。
町の中心、カテドラルからの夜景を見せてくれようと、路上のパーキングに車を停めた島袋さんは、前後左右をギリギリに停め過ぎて運転席の扉を開けられず、片手をドアの隙間にグイグイ押し込んで四苦八苦していた。
『今が楽しければいい』と言いきる島袋さんは、財布を失くし現金を裸で持っていた。ボリビアでは取得が大変難しいIDも財布とともに失くしてしまったと言う。SUMSUNGの立派な携帯電話も使い捨てのように失くしては買い替えていると笑いながら話していた。それをいつも側で見ている田中さんは、車が出せなくなった状況にも、何一つ驚いていなかった。
自分らしく生きることは損をするかもしれないが幸せな生き方である。
島袋さんの破天荒ぶりを見てそう感じた。
4/20 ERIKO