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県庁さんのご配慮で、鳥取県人のブラジル移民の歴史について、鳥取市にある敬愛高校の小山教頭先生に個人授業を開催して頂いた。

出迎えてくれた先生は、雪が激しい風に舞う寒い中、
やかんの乗ったストーブで私が勉強する部屋を暖めてまっていてくれた。
教室は懐かしい年期の入った木の匂いがした。


小山先生はパッと見、力強い山男と言った感じだ。

『私はね、車もテレビも携帯もエアコンも持ってないんだよ~。』と、とても気さくに接して下さった。
私の職業がモデルだと聞いて、どんなチャラチャラした子が現れるかと思ったと話を続けた。


先生はこれまでに何度かブラジルへ出向き、鳥取県の移民についての調査を行っている。
興味深かったのは、初めての移民船”笠戸丸”がブラジルへ渡る前より先に、
ブラジルへ渡った日本人いて、その方が明帆梅吉さんという鳥取県出身の人ということだった。
明帆さんはブラジル移民の父とも呼ばれている。

麦わら帽子にを売るビジネスをする夢を持って渡航するが失敗に終わり、
のちに移民を斡旋する、海外興業株式会社を運営することなる。

一人の人間の大きな決意が、世代が変わっても語られ続ける。
本当に美しいことだと思う。


鳥取県人会はパラグアイとブラジルにあり、創立されたきっかけは、
1952年に起きた鳥取大火の支援を受けたことがきっかけとなっている。
今年は県人会が設立して60年。
このタイミングでブラジルへ行くことができるのを嬉しく思う。


先生から頂いた名刺にはメールアドレスが書いてあったが、きっとチェックすることはないだろうと思った。
数ヶ月前までパソコンをもっていなかった私は先生の気持ちが少し分かる気がする。
ブラジルに着いたらお手紙を書こうと思う。



一昨日ようやく最初の目的地であるボリビアのラパスの受け入れ先が決まった。

米子へ帰ってきて連日取材やラジオ出演でバタバタしており、
今日やっとパッキングが終わった。

最後の晩餐は家族と親友で焼き肉を食べた。友達は最後に寂しいと言ってくれた。そう思ってくれる人に出会えただけでもありがたい。恵子ありがとう。

明日から私は旅に出るんだ、実感も湧かないまま出発を迎えようとしている。

ERIKO