ものは言いよう
たびのひと 連載
小日向えりの真田ゆかりの地をめぐる
歴史旅
最終回が更新されました
ぜひ読んでください
水の城・名胡桃城
天の城・沼田城
最後はロマンの城・上田城です
さてさて奈良の実家に帰ってきて、最近感じること。
うちの両親は、けっこう過保護かもしれない
思い当たる節をあげると
1.いつでもどこでも車で送迎
だいたいどこに行くにも両親のどちらかが車で送り迎えしてくれる。
電車に乗る時は、出やすい駅まで。
高校の時は、毎日駅まで送り迎えしてもらっていました…今思うとかなり甘えていたなぁと反省してます。駅は自転車で10分くらいの距離なのに。
とか言いつつ今日も友達とランチするカフェまで送り迎えしてもらっちゃった
いい加減車の免許とろうかな?
2.居酒屋に父上参上事件
年末の大晦日、中学校のテニス部の友達と居酒屋さんの和民で同窓会をしてたとき。
24時になる前に父が和民に現れ一喝
『年越しの瞬間は家族で迎えなあかん!』
と、私ひとり家に連行された。
大学も卒業してもうみんな社会人だし、久しぶりに会う友達。
みんなはそのあと初詣に行ってて、羨ましかった。。。
3.寝る3時間前に部屋に暖房を入れておいてくれる。
旅館並のおもてなし。
そもそも、私が上京してから新築に建て替えたのに、なぜかわたしの部屋がある。
照明は無駄にプロペラが回る仕様になってます。
4.枕の周りにぬいぐるみがたくさん。
ぬいぐるみといえば
母はいまだに子供の頃持ってたぬいぐるみの名前が全部言えるので、びっくりする。
子供の頃、寝る前に
15人(匹?)くらいのぬいぐるみに、おやすみの挨拶をして寝るのが儀式だったそうで
みみちゃん、めいちゃん、ともちゃん、かなちゃん、はなちゃん…………あいちゃん、おやすみ
と毎日唱えてたんだって(←この名前は適当)
干支を覚えてるみたいに、いまだにリズムで覚えてるようです
そんな過保護な両親と
3姉妹の末っ子というのもあって
すっかり甘えん坊に育ってしまいました
もちろん厳しいところもあって、よく怒られて叩かれて、泣いてた。
大学になって家を出てからは、仕送りを貰わず
奨学金と、アルバイトだけで、家賃や生活費をまかない、貧乏で苦労しました
庭に生えてるニラを摘んで、小麦粉買ってきて、よくチヂミつくって食べてた(笑)
早朝6時からバイトして、授業行って、授業終わったらまたバイト行って…
月末の残金はだいたい数百円ね
姉2人も大学在学中だったし、自分から仕送りはいらないと言ったし
生活能力もついて、よい経験でした。
積立貯金でベッドやカメラを買ったよ!
仕送りいらないと聞いたお父さんは
「やったー!車買おう」って言って、
すぐフォルクスワーゲン買ってたのが忘れられない!(笑)
でも車のナンバーはわたしの誕生日で、なんだか、ツンデレですな
そんな過保護な両親、年を取ると甘やかしが加速し
いま実家で飼ってるわんちゃんの小太郎が、どうしようもなくワガママに育ってしまった
父に、小太郎のワガママの文句を言うと
「ワガママじゃない!個性や!」
と小太郎をかばいます。
小太郎は自分に都合の悪いことになると、すぐに、ウーウー唸って噛んでくるから、手から血が出ても、その手でお菓子をあげて、甘やかしをやめない。
吠えられたり噛まれたりしたときに
「小太郎はワガママでかわいくない」と拗ねると
「えー、ワガママだけどかわいいやん。えりちゃんにそっくりだよ!」と、いつも母に言われます。
こんなにワガママ?
反省ですね
もしくは、わたしも個性?