真田昌幸・幸村親子が過ごした九度山「真田庵」
ひすとりーっす!
そして、ただいま~!
武蔵国に戻ってきましたよ♪
実家に帰省中、和歌山県の九度山「真田庵」へ行ってきました![ビックリマーク](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/039.gif)
九度山は真田昌幸・幸村親子が長年過ごした、真田氏ゆかり地です。
と、いうわけで…今回は史跡めぐりの様子をお送りします。
(数字の「6」ポーズのつもりが逆だった!残念なわたし
)
真田昌幸公・幸村公親子は関ケ原の戦いで西軍に与して敗戦したのち、
高野山へ謹慎命令が出され、九度山で蟄居生活を送っていました。
高野山から九度山におりてきた理由は
「高野山の冬が寒すぎたため」だとか、
「妻をつれてきたから女人禁制の高野山には居られなかったため」
など言われています。
(私も秋に高野山行ったことありますが、たしかに、尋常じゃない寒さです。。。。)
幸村公は九度山で14年間、隠居生活を送りました。
(ちなみに幸村さんは蟄居生活中に10人くらいポンポコと子供をもうけている
↑いつ生まれたの、誰の子なのか出自がはっきりしない子もいるため、10人くらい、とボヤけさせておきます。
兄の信之さんからの仕送りもあり、それほど貧乏で苦しい!って生活ではなかったようです。)
冒頭で「真田庵」と書きましたが
真田幸村親子の屋敷跡に建てられた真言宗のお寺「善名称院」は別名「真田庵」と呼ばれているのです!
昌幸公は、関ヶ原合戦から11年後の慶長16年(1611)6月4日(旧暦)
ご病気のため、ここでお亡くなりになりました。享年65歳。
そうなのです、今日は昌幸さんのご命日です。
(もう日付変わっちゃったけど。)
真田庵には昌幸さんのお墓もございます。
昌幸公の一生を偲びながら、合唱(-人-)
命がけで戦った武将たちのことを思うと、命に比べたらちっぽけなリスクを負うことを怖がっている自分が馬鹿らしくなりますね。
昌幸さんは「真田地主大権現」としてこちらで祀られていて、この地を守っていると伝えられています。
今年来年は、大坂の陣から400年の真田YEAR!
再来年2016年は万を辞しての大河「真田丸!」
昌幸さん、天国できっと張り切ってることでしょう(*^^*)
おみくじひいてみた。中吉でした!!!
喜ぶべきか悲しむべきか、リアクションに困る結果!
(プライベートだからリアクション取らなくていいっちゅーの!
)
幸村公が屋敷に落ちた雷をつかまえて、封じ込めたという伝説が残る井戸。
写真は、その様子を再現。
(若干変顔でお送りしてます…
わざとではなく、雷を必死に封じ込める幸村さんを想像して力んだら、変な顔になっちゃったのです。)
与謝蕪村の俳句
「炬燵(こたつ)して 語れ真田が 冬の陣」
同じく蕪村の句で
「隠れ住んで 花に真田が 謡かな」というのもありますが、私は上の方が好きです。
真田の史跡といえば、、、、抜け穴。(笑)
信州上田城、大阪三光神社にもありますが、九度山にもあるんですよ~!
真田庵から歩いて5分くらいかな。探してみてね。
高野山麓に位置する九度山は、紀ノ川が近くに流れており、牧歌的な風景で癒されます![クローバー](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/054.gif)
九度山は牡丹が綺麗なので、開化時期4月中旬から5月上旬がおすすめですよ。
5月には「真田祭」も開催されています。
注意事項としては、真田庵には御朱印長を持っていかないと、御朱印を断られる場合があるので、お忘れなく!
真田庵すぐ隣のおそば屋さん「幸村庵」では、信州上田のそば粉を使ったおそばが味わえますよ。
(ちなみに月曜定休です。)
さ、実家でリフレッシュしたので、明日からまたお仕事頑張ります!!!
おやすみ~。
そして、ただいま~!
武蔵国に戻ってきましたよ♪
実家に帰省中、和歌山県の九度山「真田庵」へ行ってきました
![ビックリマーク](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/039.gif)
九度山は真田昌幸・幸村親子が長年過ごした、真田氏ゆかり地です。
と、いうわけで…今回は史跡めぐりの様子をお送りします。
(数字の「6」ポーズのつもりが逆だった!残念なわたし
![えっ](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/147.gif)
真田昌幸公・幸村公親子は関ケ原の戦いで西軍に与して敗戦したのち、
高野山へ謹慎命令が出され、九度山で蟄居生活を送っていました。
高野山から九度山におりてきた理由は
「高野山の冬が寒すぎたため」だとか、
「妻をつれてきたから女人禁制の高野山には居られなかったため」
など言われています。
(私も秋に高野山行ったことありますが、たしかに、尋常じゃない寒さです。。。。)
幸村公は九度山で14年間、隠居生活を送りました。
(ちなみに幸村さんは蟄居生活中に10人くらいポンポコと子供をもうけている
↑いつ生まれたの、誰の子なのか出自がはっきりしない子もいるため、10人くらい、とボヤけさせておきます。
兄の信之さんからの仕送りもあり、それほど貧乏で苦しい!って生活ではなかったようです。)
冒頭で「真田庵」と書きましたが
真田幸村親子の屋敷跡に建てられた真言宗のお寺「善名称院」は別名「真田庵」と呼ばれているのです!
昌幸公は、関ヶ原合戦から11年後の慶長16年(1611)6月4日(旧暦)
ご病気のため、ここでお亡くなりになりました。享年65歳。
そうなのです、今日は昌幸さんのご命日です。
(もう日付変わっちゃったけど。)
真田庵には昌幸さんのお墓もございます。
昌幸公の一生を偲びながら、合唱(-人-)
命がけで戦った武将たちのことを思うと、命に比べたらちっぽけなリスクを負うことを怖がっている自分が馬鹿らしくなりますね。
昌幸さんは「真田地主大権現」としてこちらで祀られていて、この地を守っていると伝えられています。
今年来年は、大坂の陣から400年の真田YEAR!
再来年2016年は万を辞しての大河「真田丸!」
昌幸さん、天国できっと張り切ってることでしょう(*^^*)
おみくじひいてみた。中吉でした!!!
喜ぶべきか悲しむべきか、リアクションに困る結果!
(プライベートだからリアクション取らなくていいっちゅーの!
![にひひ](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/193.gif)
幸村公が屋敷に落ちた雷をつかまえて、封じ込めたという伝説が残る井戸。
写真は、その様子を再現。
(若干変顔でお送りしてます…
わざとではなく、雷を必死に封じ込める幸村さんを想像して力んだら、変な顔になっちゃったのです。)
与謝蕪村の俳句
「炬燵(こたつ)して 語れ真田が 冬の陣」
同じく蕪村の句で
「隠れ住んで 花に真田が 謡かな」というのもありますが、私は上の方が好きです。
真田の史跡といえば、、、、抜け穴。(笑)
信州上田城、大阪三光神社にもありますが、九度山にもあるんですよ~!
真田庵から歩いて5分くらいかな。探してみてね。
高野山麓に位置する九度山は、紀ノ川が近くに流れており、牧歌的な風景で癒されます
![クローバー](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/054.gif)
九度山は牡丹が綺麗なので、開化時期4月中旬から5月上旬がおすすめですよ。
5月には「真田祭」も開催されています。
注意事項としては、真田庵には御朱印長を持っていかないと、御朱印を断られる場合があるので、お忘れなく!
真田庵すぐ隣のおそば屋さん「幸村庵」では、信州上田のそば粉を使ったおそばが味わえますよ。
(ちなみに月曜定休です。)
さ、実家でリフレッシュしたので、明日からまたお仕事頑張ります!!!
おやすみ~。