【戦国】関ヶ原巡り2! | 歴ドル・小日向えりオフィシャルブログ「歴ドル小日向えりがゆく」Powered by Ameba

【戦国】関ヶ原巡り2!

「関ヶ原巡り」に引き続き

関ヶ原レポート第2弾!!(第4弾で終了予定☆)

今日は

大谷吉継の陣跡

大谷吉継・湯浅五助の墓

宇喜多秀家の陣跡

という順番で、えりがご案内いたします(^-^)/

◎大谷吉継公陣跡



階段を上がって鳥居をくぐります…
※遮断機のない線路を横断します!気をつけて渡ってください!
(><)

振り返ると、なんとなしにノスタルジックな景色が素敵(*゜▽゜)




小早川秀秋軍が陣を構える松尾山に面し、東山道を見下ろせるこの辺りは、古くは山中城があった地でした。

こうして見ると、大谷刑部(=大谷吉継)は小早川軍(後々裏切る)を、もんのすごく意識していたんだなぁって改めて実感します。

大谷刑部は、この一戦にのぞむにあたり死に装束でご出陣されていたと言われています(*ノ-;*)

大谷陣跡から、さらに山に分け入ると、お墓に通じる道があります。


見えて来ましたね。

◎大谷吉継公のお墓



左斜め後ろ、ちょっと控えめに並んでいるのは湯浅五助のお墓です。

さあ、えりの大好きな大谷刑部と湯浅五助

「1分間の深イイ話」の始まり始まり…

大谷吉継はハンセン病で、皮膚が崩れていたことを気にしていつも顔を頭巾で隠していました。

自害する前も、側近の湯浅五助に「病み崩れた顔を敵に晒さないでくれ」と念押ししていました。

五助は主君の命令を守り、吉継の首を戦場から離れた場所に埋めます。

そのとき!五助は藤堂高虎の甥っこ、藤堂高刑に見つかってしまいます!!(;>△<)

五助は「主君は首を見られるのを嫌がっていた。どうか首をここに埋めたことは秘密にしてほしい。その代わり…私の首を差し出そう。」と言い、

高刑はそれを受けて
「なんという忠義もの!神に誓って他言はしないぞ。」と、五助の首を討ち取りました。

高刑が湯浅五助の首を持ち帰ると、藤堂高虎は大喜びし、高刑をつれて、徳川家康に五助の首を見せにいきました。

報告を受けた家康は
「それは大手柄だが五助はその方にあっさり討たれるような武将ではない。どうやったのか?」と尋ねました。さらに

「五助なら主君である大谷吉継の首の場所も知っていたのでは?」と、高刑を詰問します。

高刑はことのいきさつを話し

「五助と約束したので吉継の首の場所は申し上げることはできません。わたしに処罰を仰せ付けください。」と最期まで口を割りませんでした。

うまくやれば、五助の首をとったあと、吉継の首もとり、2人の首を持ち帰ることもできたのです。

そしたらもっと大手柄。褒美もたんまりもらえたことでしょう。

しかし高刑は、律儀に五助との約束を守った…!!

家康はそんな高刑に感心して、自分の槍と刀を与えたそうです。

はいみなさん
T←「深イイ」レバーをどうぞ。


ふかい???
ふかい???
ふかい???


全員一致で深イイ話に決定!
(「う?ん」なんて言う奴はえりが許さん!)

話しながらウルウル(T-T)

涙せずにはいられませんよ…

五助?!(*ノ-;*)

そして高刑も漢(おとこ)!!

それを褒める家康も粋な大将だなぁ…

合戦の最中、殺し合い、敵対しあった仲でも、主君を想いやる気持ちは西も東も同じです。

高刑は敵ながら、五助の大谷刑部を庇う気持ちに胸を打たれ、彼が命をかけた約束を破るわけにはいかなかったんでしょうね。

別れ惜しいですが、お墓を後にして、次は宇喜多秀家の陣地に向かいましょう。

藤古川ダムを横切ります。

うーん、川がせせらぎ山が見えて、壮観だ!!

ダム、かっちょいー!!

Σ(゜m゜=)ハッ!!
もしや…これがいわゆる「ダム萌」ってやつ?(*´∇`*)
(萌え萌えして、うっかり写真撮るの忘れてた…)

山道に入ります。雨で土がぬかるんでるので、足元に充分お気をつけくださいね。

さあもう少しで…

◎宇喜多秀家公の陣跡



皆さんご存知のとおり、宇喜多秀家は五大老のひとり、関ヶ原西軍の副大将を務めた武将です。




ここは天満神社。
陣を構えるのは、境内が多いんですよね。

あちらには「天満山南 浮田秀家陣所古趾」と書かれた石碑が…

この辺で、激戦が繰り広げていたんでしょうか…。。。


ここらで一休みしましょう(^○^)

関ヶ原巡り、第三弾に続く…




戦国魂ライブ2009まであと2日!