朝日新聞「逆風満帆」(下) | 北川悦吏子オフィシャルブログ「でんごんばん」Powered by Ameba

朝日新聞「逆風満帆」(下)

朝日新聞・土曜版『be』の人気連載「逆風満帆」のコーナーにて

3回にわたり北川が特集されました。


この度、朝日新聞様のご厚意により当ブログにも記事を掲載させていただいております。

今回は12月7日掲載の第3回(下)の記事をお送りいたします。


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第3回(下)・『10年後、心に残る「宝石」を』

 「私の左耳は、ずっと海に行ったまま。潮騒の音が聞こえるのよ。私の耳鳴りは潮騒に似てる。今日から入院になったよ」

 2012年11月18日、北川悦吏子(51)はツイッターでこうつぶやいた。突然、左の耳が聞こえなくなり、病院に駆け込むと、聴神経腫瘍と診断された。良性の脳腫瘍が聴神経を圧迫し、症状を引き起こしていた。

 それから1年。いまも左耳は聞こえないまま、ごうごう、音を立てている。

 「不思議なもので、片方が聞こえないから5割というわけじゃなく、両耳が聞こえていたときの2割ぐらいしか聞こえない。家でものを書く仕事だったからいいけれど、接客業だったらクビですね」


 体の左右のバランスもとりにくくなった。階段を下りるときは、どこかにつかまらないと、ふらついてしまう。

 09年に患部の臓器を切除した難病も完治したとは言い難い。少し無理をすると寝込んでしまう。「さらになぜ、こんな目に」とやるせなくなる。


 一方で、「この状況は私にしか書けない」と、脚本家魂が顔を出す。「雨の日に傘をさすと、右側だけ雨が降ってるように感じるの。ちょっとロマンチックじゃない?」。ハッとした出来事を「いつかドラマに」とつぶやき、書き留める。


 10年春にフジテレビ系でオンエアされた「素直になれなくて」で、4年ぶりに連続ドラマの執筆を再開。日韓共同制作の映画や舞台の脚本も手がけた。監督も務めた映画「新しい靴を買わなくちゃ」は中山美穂、向井理を主役に据えてパリで撮影、12年秋に公開された。


 「私の体調、龍のごとし。時に荒れ狂う龍を飼い馴らしながら、雑誌の仕事をしたり、トークショウのお仕事をしたり、脚本を書いたり、映画を撮ったり」。いまの日常をこんな風に北川は記す。

 娘(16)は高校1年生になった。進路に悩むいま、「好きなことを仕事にする技術と力を持ち続けている母はすごい」と話す。「『甘い物食べたいけど、うちにないからクッキー作ろう』って夜9時に声をかけてくる」。そんなほかのお母さんとちょっと違うところも好きだ。


 東日本大震災後、「娘を守らなきゃ」という思いが募った北川は、直後は一緒に沖縄へ避難した。東京に戻ってからは、体力をつけるべく、ジムに通う。食材に気を使い、夫任せだった夕飯だけでなく、いまは弁当も毎日作る。「遅まきながら母親業に目覚めているんです」


 映画も舞台も、また挑戦したい。ただ、テレビへの思いは格別だ。

 入院中、尊敬する山田太一が脚本を書いた「ありふれた奇跡」を楽しみに見ていた。セリフが心に響き、「またどうしても書きたいと思いました」と思わず山田に電話をかけた。のちに、北川の舞台を見た山田がくれた「気持ちよく拍手できました」というはがきは、宝物だ。



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東京タワーの展望台。「娘が幼いころ、よく一緒に上った」=東京都港区、小林修撮影

©朝日新聞社



荒ぶる「龍」を飼いならす


 最新作の単発ドラマ「月に祈るピエロ」は、かつて山田も手がけた中部日本放送(CBC)制作の枠で、10月にTBS系で放映された。原作に頼らないオリジナルな脚本。ともに代の男女はメールと電話でやりとりを重ね、ラストシーンで初めて顔を合わせる。主演した常盤貴子(41)の目には、「はじめまして」で終わる物語が、いまのドラマ界になぐり込みをかけているように映った。


 北川作品の常連である常盤は、役柄にどっぷりと浸り切るのが持ち味だ。今回演じた控えめな静流では、気配を消すことに心を砕いた。北川の場合、常盤を想定し、彼女の中にあるものを膨らますように書くことが多いため、演じる常盤も次第に役と一体になっていく。「だから毎回、撮影が終わった後、役抜きをするのが大変」と明かす。

 最後まで2人が会わない設定は北川にとっても挑戦だったが、「余韻を残す大人のラブストーリー」と評判を呼んだ。


 「あなたは気持ちが強すぎる。それに比べて体が弱すぎる」と夫の石原耕太(49)には言われる。書きたい企画は次々に浮かぶが、身を削って書くやり方で、どこまでできるか不安も募る。

 テレビ誌で連載する漫画家カトリーヌあやこ(52)は体調を気にかけつつ、「もともと笑いのセンスがある人。日々、キャラクターが育っていく朝ドラを北川脚本で見てみたい」と期待する。


 かつては視聴率に一喜一憂した。いまも、取れればうれしいし、活力にもなると思う。「だけど、ただ数字を取って、一時のお祭り騒ぎになるか、ずっと人の心に残る宝石となるか、オンエア当初はわからない。いまは、10年、20年たっても、『あのドラマが大好き』と言ってもらえる作品をつくりたい」

 荒ぶる「龍」を飼いならしながら、北川の挑戦は続く。=敬称略


(佐々波幸子)