今、蘇る入院闘病日記・完結編。
入院中にこんなことがありました。
娘から電話がかかってきて、
ずっと話してたんですね。
「ママ、いつ退院するの?」
「んー。ママ、再手術になっちゃうかもしれないから、まだちょっと退院いつになるか、わかんない」
「そう…」
「ところで、のんちゃん、最近、パパとうまくやってる?」
ダンナさんが、病院に来るたびに、のんちゃんのグチを聞くようになっていたので。
なんだか、ふたりはうまく行ってるのか、と心配になってしまい…。
「のんちゃん、パパとうまくやってね。やんなきゃダメよ。あんた、パパと似てて無愛想なとこあるし。勉強もしてね。マンガ読んでるか、wiiやってるか、ぐーたらしてると、一緒にいる人、イライラするんだよ」
とか母親らしく(???)説教していたら、ガチャンと電話が切れてしまいました。
途中で。
へっ?!と思った私。
慌ててかけ直しても出やしない。
彼女の携帯。
仕方ないので、家電にかけなおして、やはり出ない。
私は、真っ青…。
こんなこと、いくらなんでも初めて。
もしかして、ぐれる予兆では…。
今、小学校六年生だけど、中学になったら、さっそく不登校、引きこもり、なんでは。
「ババア、うるせーんだよっ」とか言う日は、近いのでは。
私は、思いっきり、胸がドキドキしました。
走馬灯のように…の反対、これから先のことが、バーッと浮かんで、それはのんちゃん積み木崩し(古っ!)の巻。
やはり、母親が病弱だと娘はこういう風になってしまうのか…と
母は泣きたい思い。
それよりも、何よりも、体がすごくつらい状態で、心が参っていたので、娘にいきなり電話切られたことが、すごいショック。
いきいなり電話を切られ動揺した母は(私のことです。わかってるか)、父に(夫です。わかってるね、これも)電話しました。
まだ、勤務中です。
「いきなり、電話を切られた。ぐれる予兆かもしれない」
簡潔に言うと、こんな内容でした。
次の日、娘は、またフツーに電話をして来ました。
「きのう、あなたいきなり、電話切ったでしょ。ママ、ショックで夜も眠れなかったんだからね。今、ママ、入院してて、体調悪いし、心も弱ってて、ああいうのすごく参るんだからね。体にも心にもすごく響くの。やめてよね」
と、言う私に、娘は
「ああ、そんなこともあったよね」
と言う、始末。そんな言い草ってある?
頭に来ました。ワタシ。
「だいたい、いきなり電話切るってすごく失礼だよっ。なんで切ったの? ママの言ってることが、なんか気に障ったの?」
たいてい、そうだと思った。だいたい、あんたはパパに似て無愛想で、とか言ったのが、気に障ったかと思った。
しかし、というか、案の定、娘は、だんまりを決め込む。
ここも、夫と似てるところ。人に追い詰められると、問い詰められると、黙っちゃうんだよね。
「ねえ、なんで電話切ったの? 何か、ママの言うこと癇に触った?」
「う~んっ、別にそういうわけでもないんだけどね」
「じゃ、何?」
「う~ん? どうかなあ」
こいつ、ふざけとんのか!!
頭に来る母。
どうしたって、なんで切ったのか、言いそうにないので、後は、父親である夫に託しました。
ちょっと、言ってやって。
途中で電話切るってすごく、失礼なことなんだよって。そいで、どうして電話切ったか、聞いて、と。
二日後、ダンナさんから電話がありました。
なんで、のんちゃん、電話切ったかわかったよ。
やっぱり僕にもなかなか言わなかったんだけど、長い時間をかけて、聞いてくれた、とのこと。
なぜ、電話を切ったか、というと
彼女、本当は、私の手術がうまくいかなくて、再手術かもしれなくて、退院がいつかわからない、というコトバに、実はすごくショックを受けたのだそう。
そして、その後、えんえん私が、いつものように、くだらない話とか、お説教とかするのを聞いてるうちに
これ以上、ママの声を聞いてると、泣いてしまう、と思って、電話を切ったんだそうです…。
ぜんぜん、わかんなかった。そんなこと。
母として失格。
情けなくて、申し訳なくて、泣きました。
そして、そのことを、私に「どうして切ったの?それって、すごく感じの悪いことだよ」と言われても、言えなかった娘。
ごめんなさい。私は、ダメダメな母親です。
入院中、こんなことがありました。
これを読んでくれてる方。そして、いままでも読んでてくれた人。
どうも、ありがとう。
私の入院闘病記は、これでいったん、シメようかと思います。
まだ、書けばいろいろあるけれど。
この前、書いたように次のドラマを書き始めたので、その世界に行かなければいけません。
病気の私を置いていくようで、少し、心もとないけれど。
元気なメール、あ、メールじゃないや、記事、と言うのかしら?それが、ここ最近、続いたけれど、私はまだ本調子ではありません。
ばっさり切ってしまった臓器のことは、私を未だに苦しめています。
ここに、病気の方々から、たくさんのコメントをいただきました。
私は、あなたたちの気持ちも置かれてる状況も、手に取るようにわかります。
だから、かえって、何も言えない。ガンバレ、とかやっぱり言えないっす。
ただ、わかります。と言います。
つらいよね、と言います。
神様、いじわるだよね、と言います。
いくらだって、共感できます。
だって、それは、私自身だからです。
でも、どうしたって、生きていく手立てはあるはずです。
しあわせの見つけ方は、人それぞれだから、どうにか見つかるはずです。
人間には、知恵、というものがあります。
そう。それを働かせるんです。
今、苦しくって仕方なくって、そんなこと考えられないって人もいると思います。
それも、すごくわかります。
そんなときは、苦しくって仕方ないことに、溺れているしかありません。
藁にでもすがる思いです。
そんなときは、本当に藁を探してください。
病気の人は、人に甘えていいそうです。
ワガママでいいんだって。
山田太一さんのドラマにあったそうだよ。私が、入院中に、このコトバ、岩井(俊二)さんが、教えてくれました。 甘えられるものには、なんでも甘えて。
そして、あなたの明日が、今日よりも、少しでも、楽であることを、切に願います。
あなた自身も、それを信じてくれませんか?
明日は無理かもしれいなけど、もうちょっと先、一週間後、二週間後には、きっと楽になってるって。
私は、本当にあの頃、死ぬか、思うほどつらかったけど、今は、こうして、こんなに長いメールが打ててます。
今日もまたシメイ(だから、ビールの名前です)を、ベランダで東京タワーを見ながら飲みました。
夢のようです。あの頃の私からは、考えられません。
だから、あなたにも、きっとそんな日が来ると、思います。信じます。祈ります。
あなた自身も、それを信じてください。
今、楽になる時間が、5分もなくて、24時間、痛いままだとしても
それは、ずっと続かない、ということを、ちょっと信じてみてください。
私がそうだったから、こうして、余計なおせっかいを言います。
その希望が、少しでも、あなたを楽にしたら幸いです。
追伸・ずっと続けて読んでくださってる方へ。
骨髄検査の件ですが、薬で一応のところ、数値が収まって来たらしく、今は、そこまでやる必要はない、そうです。
あと、問題の縫合不全、の場所も、すごく長い時間、3カ月という長い時間をかけて、待ったおかげで、自然にくっついてくれました。
結果、再手術はしなくて済みました。
本当に、そのときは、喜びました。私も家族も私を支えてくれた友人たちも。
クラッカーものでした(あの、パアァァァァンってやつね)。
今は、自宅療養。そして、少し仕事を再開した、という感じです。
元気にやっています。
普通の人のようなわけにはいかないけれど。
だんだん、と思ってます。
なんだか、長い手紙みたいですね。
田舎の古い友人にあてるみたいな。
顔も知らない人たちに、こんな手紙を宛てられる
そんな気持ちさせてくれた、みなさんと、そしてこの場を与えてくれた、アメーバさん、そして、アメーバさんとの間に入ってくれた、まゆみさんに(ごめんなさい、個人的な知り合いの名前を書いて…)感謝します。
2009年 10月 20日
北川 悦吏子。