私にとって必要なこと。
今日、考えていて、ふと、わかりました。
私が、今、なんで入院中のことを、思い出して書くのか。
思い出すだけで、またつらくなるのに、なぜ書くのか。
これは、私にとって必要なことなのです。
それも、今の私、ではなく、あの時の私に。
あの、病院にいた時の私にとって。
人は、長い人生の中で、すごくひどい目にあったり、ひどい思いをした時のことって、忘れたいと思うと思います。私も、こんなこともう一回、思い出さないで、目をつむって忘れて、ただ、前を向けばいいんじゃないかって、
そうも思いました。
でも、違うんだと思った。
あの時の私が、これを書くことを必要としています。
あの時の私は、やっぱり声をあげて泣き続けていると思うんです。
なんていうか、あの大変だった時期の私を、あの頃に比べれば段違いに元気になった私が、見舞いに行ってやる、ような感覚で、
私はこうしてときどき、あの頃を思い出しながら、書いていこうと思いました。
なんか、文章くどいけど。
このブログはあんまり推敲しないで、勢いのままに出そうと思ってるので、書き直しません。
文章が迷っているのは、私の心が迷ってなかなかそこにたどり着けないんだ、と解釈してください。
長い人生の中で、自分が損なわれるようなひどい目にあった場合。
そのときの自分を、救ってやらなければ、今の自分が本当の意味で健やかになることって、実はないんじゃないんでしょうか?
よくわからないけど、カウンセリングなんかでも、今までの自分の過去におけるひどいできごとって、お医者さんは、患者さんに話をさせたりするんじゃないかな。
それによって、今の患者さんが癒されるというか。
蓋をして閉じ込められないことが、人生にはあって、
それは、それ相応の時間と思いをかけて、治して(?)あげなくてはいけないんだと思う。
よく作家さんが、自分の過去の悲惨なできごとなどを、小説に書いて
なんでイヤなことをもう一度思い出してそして、それをみんなにさらすようなことをするんだろう、と
思ったけれど(スキャンダラスなことだと特に)、
そうすることによって、その人は、生きやすくなっていったんだろう、と今となっては思う。
そしなければ、いられなかった、というか。
そんなことを思いました。
でも、もし、今病院にいる人、病気の人がこのブログを読んで、少しでも勇気づけられたら、うれしいです。
なぜなら、私自身も、闘病している人の話を読んで、ずいぶんと救われていたクチなので。
私だけじゃないんだ、と思うと、単純に、少しは楽になります。よね?