今、蘇る入院闘病生活⑤ | 北川悦吏子オフィシャルブログ「でんごんばん」Powered by Ameba

今、蘇る入院闘病生活⑤

集中治療室に再び入った私は、吐き気と痛みと震えの三つ巴と闘うことになります。

吐く、と言っても、二カ月何も食べてないのだから、なんだかわけのわからない緑の液体みたいなものしか出てきません。

私は、苦しみます。

すると、ひとりの看護師さんがササッと来てくれて

「吐き気止めを、お持ちしてもよろしいでしょうか?」

 とささやきました。

 うまく、再現できないんだけど、その時のその落ち着いた様子、そしてコトバの使い方

 なんて、きれいなコトバで聞くんだろう、と私は思ったのです。

 その人が吐き気止めを点滴で入れてくれて、やさしく背中をさすってくれて、ほんの少し私は楽になりました。


 S病院の看護師さんたちには、本当にお世話になりました。

 「今、蘇るー③」で書いた、私に怒鳴り返した看護師さんも、本当に私の相手がいっぱいいっぱいだったのだと思います。

 病気は当人だけじゃなくて、回りの人もつらいです。

 そんなに苦しむ人をずっと見てなきゃいけない。逃げられない。ナースコールを押されたら、そこに行かなきゃいけない。何もしてあげられることがなくても。

 これは、つらく大変なことだろうと思います。


 看護師さんの中には、私の様子を見て、つらいのはあなただけじゃない、ということを言ってくれようとしたんだと思うけど、自分の娘さんを病気で一才で亡くした時のことを、話してくた人もいました。

 それもまだ、二、三年前の話だそうです。

 それでも徐々に私は立ち直って来た、だから、きっと北川さんも大丈夫、というニュアンスだったと思います。

 今は、つらいけど…きっと、楽になる日が来るから、と。


 そんなことまで告白させた私は、本当に情けないほど、子供っぽかったんだと思います。

 あまりの痛みと不安と恐怖で、大人、という留め金が、外れてしまったんですね。

 もう、思ったまま。感じたまま。苦しいままに人々に訴え続けました。

 なんとか、私を、助けてください。


 時間が経てば、自然にくっつく可能性が高い、と言われた縫合不全の場所は

 二週間たっても、一カ月たっても、くっつくことはありませんでした。


 いよいよ再手術か、と思うと、泣きたくなりました。

 ではなく、マジで泣きっぱなしでした。手足、震えっぱなしだし。

 横になることができないので(横になるといたたまれなく、すぐ起き上がってしまう)、座ったままです。

 それもつらくて、床に座って、ベッドに上半身だけ、つっぷす。

 パッと見ると「どうしたの?!」というような体勢ですが、

 看護師さんたちは、もうそれに慣れて

「北川さんはこれが一番、楽なのよね」と

 なんでもないことのように、言ってくれました。


 集中治療室には、三日くらいいて、また個室に戻った私ですが、あいかわらず、病状は良くならず、

 なるべくナースステーションに近い部屋の個室が、あてがわれました。

 夜中には震えがひどく、ひとりでいると恐ろしくて仕方なく

 ナースステーションで過ごすようになりました。


 みなさん、知ってますか?

 病院のナースステーションって、よく見てると、患者さんがひとりかふたり、いるよ。

 夜中に。

 手のかかる患者さん、惚けてしまったお年寄り。

 など、ナースステーションで、みんなの中で、過ごさせてあげるんですよね。

 度々、部屋に行くより、その方が看護師さんたちも、楽ってこともあるんだろうけど。


 そして、私は、夜中、車椅子でナースステーションに連れていかれ

 みんなの中で、なるべく震えが来ないようにと、心が落ち着くようにと

 絆創膏を切る、とか、紙をそろえる、とかそんな単純作業をやらせてもらいました。

 そういう雑事が、彼女たちには、山ほどあるんですよ。

 やっている間は私、少し落ち着くこともあったので。


 で、何を思ったか、私は、夜中、ナースステーションで絆創膏のカドっこをいつものようにハサミで切ってたんですが、突然、ハサミを置いて

「私、書きます」

 と言い出したのです。

 びっくりしたのは、看護師さんたち。


 何を書くかというと、脚本なんです。あたりまえです。私が、書く、といえば、「脚本」。


 そのとき、なんなんでしょう。

 看護師さんたち、みんなが、すごく喜んで、手を叩かんばかりなんです。

 よしよし、書こう書こう、書きなさいって感じで。

 みんなして、ペンは持って来るは、紙は持って来るは、私の部屋からパソコンは持ってくるは。

 場所は空けてくれるは。

 

 もちろん、とても書ける状況じゃないのに。

 その意欲に、何か先が見える気がしたんですよね。きっと看護師さんたち。

 今思えば、看護師さんたちも、大変だったと思います。

 「きっと、くっつくよ(縫合不全の場所が)。絶対、大丈夫。治るよ」

 と言いながら、誰もその確信はなかったんだろう、と今となっては思います。

 でも、自信を持って(自信のあるふりをして)そう言わざる得ない。


 ところで、そのとき、書いたシナリオは

  たった一行の柱。


○抜けるような青い空


 それで終わっています。

 それ以上は、苦しくてやっぱり書けなかった。

 あっ、柱というのは、場所を表すんですね。最初の○は、柱の前には、必ずつけるんです。


 抜けるような青い空。

 の下で、いったい何が起きる話を、私は書こうとしたんでしょう。



 つづく。